前田治一郎
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| 前田治一郎 まえだ じいちろう | |
|---|---|
| 生年月日 | 1911年2月19日 |
| 出生地 |
|
| 没年月日 | 1996年12月1日(85歳没) |
| 所属政党 |
(自由党→) (自由民主党→) (無所属→) 自由民主党 |
| 称号 | 従四位 |
| 親族 | 娘婿・前田正(衆議院議員) |
| 選挙区 | 旧大阪2区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 1972年 - 1979年9月7日 |
| 在任期間 | 1963年6月 - 1964年6月 |
| 選挙区 | 大阪市北区選挙区 |
| 当選回数 | 5回 |
| 在任期間 |
1951年 - 1967年1月8日 1967年 - 1969年12月6日 |
前田 治一郎(まえだ じいちろう、1911年〈明治44年〉2月19日[1][2][3][4] - 1996年〈平成8年〉12月1日[5])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期)を務めた。
兵庫県出身[4]。1954年(昭和29年)に実業信用組合[注釈 1]の創立に関わり全国信組連理事を務める。その傍ら大阪府議にも当選し[注釈 2]1963年(昭和38年)に府会議長となる[8]。1967年(昭和42年)1月8日付で県議を辞職した[9]。同年の総選挙に立候補したが、落選した[10]。その後、同年の府議選に無所属で立候補して返り咲きを果たした[11]。1969年(昭和44年)12月6日付で衆議院議員総選挙立候補を理由として県議を辞職した[12]。県議は5期務めた[7]。同年の衆議院議員総選挙に旧大阪2区から無所属で立候補したが落選した[13]。1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙では自由民主党公認で立候補し、初当選[10]。以後連続2期務める[4]。1979年(昭和54年)の総選挙で落選し政界から引退する。
1996年12月1日、死去。85歳没。