劉岳 (五代)

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劉 岳(りゅう がく、877年 - 932年)は、五代十国時代官僚文人は昭輔。本貫河南府洛陽県[1][2]

幼くして父を失った。進士に及第し、戸部巡官・鄭県県主簿・直史館を歴任し、左拾遺・侍御史に転じた。後梁貞明年間、翰林学士となった。劉岳は文章を作るのが敏速で、笑い話をするのを得意とした。戸部侍郎に累進した[3][2]同光元年(923年)、後唐荘宗開封府に入ると、劉岳は均州司馬に左遷された[4]。ほどなく母が死去すると、劉岳は辞職して喪に服した。喪が明けると、劉岳は太子詹事に任じられた[5]天成元年(926年)、明宗が即位すると、兵部侍郎[6]吏部侍郎[7]を歴任した。天成3年(928年)、秘書監となった[8]長興2年(931年)、太常寺卿に転じた[9]。長興3年(932年)10月5日、死去した[10]。享年は56。吏部尚書の位を追贈された。劉岳は文学のほかに、典礼に通じた。天成3年(928年)に明宗の命を受けて『新書儀』1部を編纂して、当時に通行した[5][11]

家族

脚注

伝記資料

参考文献

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