劉牢之

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劉牢之(りゅう ろうし、? - 402年)は、中国東晋武将道堅本貫彭城郡彭城県(現在の江蘇省徐州市)。前漢の楚元王の劉交の末裔で[1]、祖父の劉羲は西晋武帝に仕えて、雁門郡太守となり、父の劉建は征虜将軍となった。子に劉敬宣、孫は劉祖[2]がいる。娘は高雅之の妻。また甥(姉妹の子)には何無忌がいる。

名門出身で武勇に優れた猛将であったが、三度の背反(三反)を繰り返して信望を失い、最期は自滅した。

脚注

参考文献

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