劉鼎 (五代)

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劉 鼎(りゅう てい、894年 - 948年)は、五代十国時代官僚は公度。本貫徐州蕭県[1]

経歴

後梁大理寺評事を初任とし、尚書博士・殿中侍御史・起居郎を歴任した。後唐清泰2年(935年)、吏部員外郎から渾州通判として出向した。入朝して刑部郎中となり、塩鉄判官をつとめた。吏部郎中に転じ、侍御史・知御史台雑事を兼ねた。後漢乾祐元年(948年)、諫議大夫に任じられた。この年に死去した。享年は55[1]

家族

徐州・宋州の民に「豢龍劉家」と呼ばれた。

  • 祖父:劉泰(蕭県県令)
  • 祖母:某(朱全忠に旧恩をほどこし、後梁により「国婆」と号された)
  • 父:劉崇(朱全忠の身分が低かったとき、劉崇の家で雇われ仕事をした。朱全忠が即位すると、劉崇は任用されて、殿中監・商州刺史となった)
  • 継母:趙氏(異母兄弟7人のうち、劉鼎を最も可愛がった)
  • 子:劉袞(後周に仕えて左拾遺・直史館となり、早逝した)[1]

脚注

伝記資料

参考文献

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