功存
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概要
無帰命安心の糺明
1760年(宝暦10年)に同国平乗寺の住職となる。当時、越前浄願寺竜養の無帰命安心を異安心(異端)として糾して説得し、その際の問答を記録した『願生帰命弁』(がんしょうきみょうべん)を1764年(明和元年)刊行した。
明和の法論
明和の法論で功存は智洞らと共に学林派を代表して、智暹と本尊論について論争し、勝利を収める。1769年(明和6年)、西本願寺第6代能化に就任し、1796年10月23日(寛政8年9月23日)、77歳で死去した[1]。
三業惑乱
しかし功存の死後、第7代能化に就任した智洞が『願生帰命弁』を三業帰命説の根拠としたために三業惑乱が惹起し、最終的には江戸幕府寺社奉行の裁定により、同書もまた異安心に認定されるという皮肉な結果を招いた[3]。