智暹
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概要
播磨国出身。若霖に師事し、播磨真浄寺の住職となる。智暹は、西本願寺学林4世能化・法霖の跡を継ぐことを有力視されていたが適わず、同職には義教が就任した。
明和の法論
1764年(明和元年)に『浄土真宗本尊義』を著し、学林で正統とされていた『方便法身義』(法霖の著)の本尊論を批判したことで、1767年(明和4年)に功存や智洞ら本山の学林との間に明和の法論[2]を起こしたが、西本願寺第17世門主・法如の裁定により敗北し、『浄土真宗本尊義』は本山から発禁を命じられた。1768年6月28日(明和5年5月14日)、67歳で死去した[1]。
没後
発禁された『浄土真宗本尊義』は没後『略述法身義』と改題して再刊を許された[1]。