加賀美郷

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加賀美郷(かがみのごう)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて甲斐国巨摩郡に存在した。現在の山梨県南アルプス市加賀美を中心とした地域に相当する。

甲斐源氏の一族である加賀美氏の本拠地として知られ、中世日本の武家社会を支えた小笠原氏南部氏秋山氏などの名門氏族の発祥の地である。

加賀美郷は、御勅使川(みだいがわ)の扇状地末端部から釜無川右岸にかけての肥沃な平坦地に位置する。

  • 水利: 扇状地の湧水帯に位置し、農業生産力が極めて高かった。この経済力が加賀美一族の強大な武力の背景となった。
  • 交通: 駿河国(身延道方面)や信濃国へと通じる街道の結節点に近い要衝であった。

歴史

加賀美氏の入植

平安時代末期、甲斐源氏の棟梁・源清光の三男である加賀美遠清がこの地を与えられ、地名をとって加賀美氏を称した。 遠清は、現在の法善寺周辺に「加賀美館」を構え、郷内の開発を進めるとともに、一族の氏寺として法善寺を再興した。

武家文化の源流

加賀美郷は、単なる一豪族の領地にとどまらず、後の日本文化に影響を与える「源」となった。

  • 小笠原氏の発祥: 遠清の長男・小笠原遠光は、郷内の小笠原(現在の南アルプス市小笠原)を分き出し、後に信濃国へ進出して武家礼法の宗家となった。
  • 南部氏の発祥: 次男・南部光行は、近隣の南部(現在の南部町、あるいは郷内の特定地域)を拠点とし、後に奥州へ下向して南部氏の祖となった。

加賀美光俊と「小屋」

遠清の四男・加賀美光俊は、父の居館周辺を継承した。この拠点は「小屋」と呼ばれ、一族の本家(根拠地)としての役割を担い続けた。

史跡・遺構

  • 加賀美館跡(法善寺): 現在の法善寺境内および周辺。大規模な土塁や堀の跡が今も地形に残されており、中世の「館(やかた)」の形態を現在に伝えている。
  • 法善寺: 加賀美氏の菩提寺。遠清が安置したとされる国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像など、平安時代末期の優れた仏像が伝わる。
  • 鏡中条(かがみなかじょう): 加賀美郷の中心部を指す地名として今も残り、当時の町割りの名残が見られる。

現代

脚注

関連項目

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