1899年、帝政ロシア租借時代のロシア人による竣工。当初は、大連市西郊外に位置することから西公園と名づけられる。1905年に日本軍が大連を占領し、日本人らの手によってゴルフ場、プール、乗馬クラブが増設され、当時トラを飼育していたことから老虎公園と呼ばれた。その後、大連区自体も拡張され市の中心部に位置するようになったことから、中央公園へ名称を変更[1]。
中華人民共和国成立後、中国政府は国民に労働の義務を科した。中央公園も、改修され池のほとりに「労働創造世界(=労働により、世界を創造しよう)」の碑が掲げられた。このことから、名前を労働公園と改称し、今に至る[1]。