勘解由小路資承
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1872年(明治5年)宮内省に出仕[3]。1887年(明治20年)1月12日、明宮勤務(年俸二百四十円下賜)[5]。1889年(明治22年)東宮侍従に就任。1891年(明治24年)4月6日、東宮習志野行啓供奉[6]。父の死去に伴い1893年(明治26年)2月23日、家督を相続した[7]。1895年(明治28年)1月24日、東宮侍従を依願免官[8]。
妹の夫の伯爵烏丸光亨と始めたセメント事業が失敗して破産し、三浦半島の南下浦村金田に転居して晴耕雨読の生活に入り、トルストイや宗教書に傾倒し、近くに住んでいた甥の武者小路実篤少年に大きな影響を与えた[4][9][10]。東宮の教育係だった経歴や多趣味が買われて、1906年に新設された私立松戸中学校の校長に就任した[10]。
