川口武定
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紀州藩士・川口武右衛門の長男として生まれる。紀州藩戌兵大隊計司を経て、明治政府に出仕。神奈川県大属、租税寮出仕、監史副長、監史総長などを経て、1873年7月、陸軍会計軍吏に任官。陸軍省第5局(経理)第6課長心得、第8課長心得、東京鎮台付、熊本鎮台在勤、第5局出仕などを歴任。1877年2月から10月まで、第1旅団会計部長として西南戦争に出征した。
その後、東京鎮台在勤、東京鎮台会計部長、会計局第2課長、兼軍吏学舎長などを経、1887年11月、一等監督に進級。陸軍大学校教官、欧州出張、初代陸軍経理学校長などを歴任した。1893年5月、海軍に転じ主計総監となって海軍省経理局長に就任し、海軍主計科の育成に貢献した。1895年8月、日清戦争の功により男爵を叙爵し華族となる。1897年6月、予備役に編入され、1906年1月26日、後備役となる[2]。1911年1月26日に退役した[3]。
1898年3月から1901年11月まで宮内次官、1904年(明治37年)7月10日から[4]1911年(明治44年)7月9日まで貴族院議員を務めた[1]。
家族
- 父・川口武右衛門 - 和歌山藩士[5]
- 先妻: ゑい(瀧畑藤助長女)
- 後妻: 直子(1866-) - 子爵勘解由小路資生の五女。二田是儀 (初代)の元妻
- 二男: 武和(1877-) - 男爵、大阪高等商業学校卒。岳父に水野忠幹 (紀伊新宮藩主)。
- 三男: 武昌(1882-)
- 四男: 武孝(1883-1911) - 陸軍士官学校16期生。陸軍少尉。1908年に勘解由小路資承の庶子・康子と結婚するが、武孝は婚礼の日に肋膜炎で寝込むほどの病身で、3年後に一子・喜久子を残して肺結核で没す[6]。康子は志賀直哉と再婚。遺児の喜久子は武者小路実篤の養女となる[7]。
- 娘: 楠枝(1879-) - 青木信光 (子爵)の妻
- 娘: 總代(1886-) - 小林政吉の妻