勝俣孝雄
日本の実業家 (1930-2019)
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来歴
東京府東京市出身。1953年に東京大学法学部卒業、八幡製鐵(後の新日本製鐵)入社。秘書生活を21年勤め社内では名物秘書長として知られた[2]。
新日鉄社長ポスト争いでの不運
「ゴードファーザー」こと永野重雄、稲山嘉寛の二人が1983年に引退宣言。これにより1952年 - 1954年入社組の今井敬(旧富士出身)、佐々木喜朗(旧富士。大学の同期)、永野辰雄(永野重雄の長男)、勝俣の四人がほぼ同時期に取締役に昇進、激しい出世争いとなった[3]。財界人脈が豊富な勝俣が次期社長候補No.1と期待されていた。
新日本製鐵は旧富士出身社長→旧八幡出身社長→旧富士出身社長という風に伝統的な「たすきがけ人事」が行われている。1993年、旧八幡出身の斎藤裕社長の後任として伝統破り(勝俣も旧八幡出身)が期待されたが、旧富士出身の今井敬が社長に昇格。伝統は固く、勝俣は2年後に関連企業である九州石油の社長に就任した[4]。九州石油社長ポストは新日鉄社長に就任する実力がありながら「たすき掛け」のルール上就任できなかった旧八幡出身副社長のいわゆる「天下り」ポストである(たすきがけ人事及び天下りポストの伝統は2008年に崩壊)[5]。