北小浜
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河川
歴史
北小浜は1879年までは小浜村、1879年から1889年までは北小浜村であった。
1889年、北小浜村は上三俣村・下三俣村・多門寺村・北篠崎村と合併し三俣村大字北小浜となる[9]。このとき、名称は三俣村であるが、村役場の位置は新村の中央であることから北小浜が選ばれた[10]。また、初代三俣村村長は北小浜在住(北小浜の名主の養子)である鈴木吉十郎が選ばれた[11]。
1954年に加須市となり、現在に至る。
- 慶応4年/明治元年(1868年) - 一部地域が岩鼻県に属する[12]。
- 明治2年(1869年) - 全域が大宮県(のち浦和県)に属する[13][14]。
- 明治4年(1871年) - 浦和県が埼玉県となる[15][14]。
- 1879年(明治12年)5月28日 - 北埼玉郡内に2村あった小浜村の区別のため、小浜村から北小浜村に改称する[16]。
- 1884年(明治17年) - 下三俣村連合戸長役場(所管区域はのちの三俣村と同一)を上三俣村に設置する[17]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 北小浜村と周辺村が合併し北埼玉郡三俣村が成立する[9]。
- 1931年(昭和6年)7月17日 - 三俣村役場を大字北小浜202番地から大字北小浜1000番地に移転[18]。
- 1954年(昭和29年)5月3日 - 三俣村が周辺町村と合併し加須市大字北小浜となる[19]。
- 1968年(昭和43年)5月1日 - 北小浜の一部が浜町の全域・睦町二丁目の一部に分離[20]。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 住所表記から「大字」が削除され、加須市大字北小浜から加須市北小浜となる[21]。
- 2011年(平成23年)3月 - 東日本大震災による電力危機のため、計画停電を実施。各日3時間以内の停電を、区域によって4日間もしくは6日間実施[22]。
小字
江戸時代の小字
『新編武蔵風土記稿』には、次の小名が挙げられている[23]。
- 下川
- 二日切
- 東内通
明治以降の小字
字名・地番は、埼玉県立文書館収蔵の村絵図の表題による[24]。過去の(「埼玉郡小浜村」と記載されている)ものであり、当時の区域による。
- 堂前
- 1番地 - 276番地
- 地蔵院(浜町)の前身である地蔵堂の前であることから名付けられたといわれている[25]。
二田切 ()- 277番地 - 521番地
- 寺沼
- 522番地 - 681番地
- 北手沼
- 682番地 - 999番地
- 旧利根川の氾濫により生じた沼から名付けられたといわれている[25]。
- 深沼
- 1000番地 - 1054番地
- 旧利根川の氾濫により生じた沼から名付けられたといわれている[25]。
- 西中通
- 1055番地 - 1359番地
- 村の中央を通る道路の西にあることから名付けられたといわれている[26]。
- 東中通
- 1360番地 - 1627番地
- 村の中央を通る道路の東にあることから名付けられたといわれている[26]。
- 尾前
- 1628番地 - 1981番地
- 北部は又根と呼ばれることがある[27]。
人口
人口の変遷
明治10年代(1880年前後)の北小浜村の人口は797人であった[28]。(当時の区域による。)
国勢調査による人口の推移は下表の通りである。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[29] | 1,413 |
| 2000年(平成12年)[30] | 1,658 |
| 2005年(平成17年)[31] | 1,710 |
| 2010年(平成22年)[32] | 2,016 |
| 2015年(平成27年)[33] | 2,053 |
| 2020年(令和2年)[34] | 2,321 |
世帯数の変遷
明治10年代(1880年前後)の北小浜村の戸数は121戸であった[28]。(当時の区域による。)
国勢調査による世帯数の推移は下表の通りである。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[29] | 411 |
| 2000年(平成12年)[30] | 529 |
| 2005年(平成17年)[31] | 621 |
| 2010年(平成22年)[32] | 720 |
| 2015年(平成27年)[33] | 753 |
| 2020年(令和2年)[34] | 894 |