北小浜

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北小浜(きたこばま)は、埼玉県加須市大字郵便番号は347-0011[5]。当地域の人口は2,541人(2025年1月1日現在、住民基本台帳人口による。加須市調べ)[2]

河川

加須市中央部に位置する[6]。南は睦町・浜町・会の川を隔てて久下くげ、東は多門寺、北は下樋遣川しもひやりかわ、西は上三俣にそれぞれ接する[6]。中央部を東北自動車道が横断する[6]

湖沼

地価

住宅地の地価は、2026年(令和8年)1月1日の公示地価によれば、北小浜字堂前222番地11の地点で35,500円/m2となっている[7]

水害想定

利根川氾濫した場合、大部分で3メートル以上5メートル未満、局地的に5メートル以上の浸水が想定されている[8]

歴史

北小浜は1879年までは小浜村、1879年から1889年までは北小浜村であった。

1889年、北小浜村は上三俣村・下三俣村・多門寺村・北篠崎村と合併し三俣村大字北小浜となる[9]。このとき、名称は三俣村であるが、村役場の位置は新村の中央であることから北小浜が選ばれた[10]。また、初代三俣村村長は北小浜在住(北小浜の名主の養子)である鈴木吉十郎が選ばれた[11]

1954年に加須市となり、現在に至る。

小字

江戸時代の小字

新編武蔵風土記稿』には、次の小名が挙げられている[23]

  • 下川
  • 二日切
  • 東内通

明治以降の小字

字名・地番は、埼玉県立文書館収蔵の村絵図の表題による[24]。過去の(「埼玉郡小浜村」と記載されている)ものであり、当時の区域による。

堂前
1番地 - 276番地
地蔵院(浜町)の前身である地蔵であることから名付けられたといわれている[25]
二田切ふたたきれ
277番地 - 521番地
寺沼
522番地 - 681番地
北手沼
682番地 - 999番地
旧利根川の氾濫により生じた沼から名付けられたといわれている[25]
深沼
1000番地 - 1054番地
旧利根川の氾濫により生じた沼から名付けられたといわれている[25]
西中通
1055番地 - 1359番地
村の中央を通る道路の西にあることから名付けられたといわれている[26]
東中通
1360番地 - 1627番地
村の中央を通る道路の東にあることから名付けられたといわれている[26]
尾前
1628番地 - 1981番地
北部は又根と呼ばれることがある[27]

人口

人口の変遷

明治10年代(1880年前後)の北小浜村の人口は797人であった[28]。(当時の区域による。)

国勢調査による人口の推移は下表の通りである。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[29]
1,413
2000年(平成12年)[30]
1,658
2005年(平成17年)[31]
1,710
2010年(平成22年)[32]
2,016
2015年(平成27年)[33]
2,053
2020年(令和2年)[34]
2,321

世帯数の変遷

明治10年代(1880年前後)の北小浜村の戸数は121戸であった[28]。(当時の区域による。)

国勢調査による世帯数の推移は下表の通りである。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[29]
411
2000年(平成12年)[30]
529
2005年(平成17年)[31]
621
2010年(平成22年)[32]
720
2015年(平成27年)[33]
753
2020年(令和2年)[34]
894

事業所

事業所数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業所数推移
事業所数
2016年(平成28年)[35]
74
2021年(令和3年)[36]
92

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[35]
863
2021年(令和3年)[36]
1,093

教育

学区は北小浜全域が三俣小学校・昭和中学校である[37][38]

加須市立三俣幼稚園
1958年(昭和33年)5月開園[39]
加須市立三俣小学校
1873年(明治6年)3月15日開校の多門寺学校と、1874年(明治7年)7月5日開校の不動岡学校三俣分校をルーツとする[40]
加須市立昭和中学校
1950年(昭和25年)7月31日に、三俣村と加須町の学校組合立で設置された[41]

施設

交通

祭事

脚注

参考文献

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