北条時光 From Wikipedia, the free encyclopedia 北条 時光(ほうじょう ときみつ)は、鎌倉時代の北条氏の一族。同姓同名の人物が佐介流北条氏に3名確認できる。 北条時房の長男・北条時盛の子。官位は修理権亮(のち修理亮か)。弘安年間の8月、興福寺の満実法印と陰謀を企てるが発覚し、拷問の末に佐渡国へ流罪となった[1]。 北条時房の次男・北条時村の孫。父は北条政宗または北条政房。通称は孫七。 北条時員の次男・北条時盛の孫。父は北条時元。兄に北条房実、弟に北条時国がいる。 これとは別に、桜田流北条氏に1名いる。 北条貞国(桜田貞国)の長男。生没年不詳。 [脚注の使い方] ↑ 『鎌倉年代記』裏書の弘安7年(1284年)条に「八月之比、修理権亮時光越後守時盛息陰謀事露顕之間、歴種々拷訊之後、配流佐土国、与満実法師同意云々、」〔原文ママ〕とあり、『保暦間記』にも「弘安二年…(略)…同四年…(略)…同八月、修理亮越後守盛時男時房孫也、隠犯事顕テ、佐渡国へ遠流セラル。蒲実法印同意云云」〔原文ママ〕とあって、時光が陰謀の罪によって流罪となったことは確かなようである。但し、この事件の時期については、前者の弘安7年(1284年)に対し、後者は弘安4年(1281年)と異なっている。また、弘安7年に起きた時光の甥・時国による事件との関係性も不透明である。 参考文献 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』(新人物往来社、2001年) 竹内理三 編『増補 続史料大成 51巻 鎌倉年代記・武家年代記・鎌倉大日記』(臨川書店、初版:1979年) 佐伯真一・高木浩明編著『校本保暦間記』(和泉書院、1999年) 外部リンク 北条時光(時盛子) - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分) 北条時光(孫七) - ウェイバックマシン(2014年8月12日アーカイブ分) 北条時光(時元子) - ウェイバックマシン(2014年8月12日アーカイブ分) このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。 Related Articles