北条義宗
日本の鎌倉時代の武士
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生涯
経歴
備考
- 最後(16代目)の執権・北条守時、鎮西探題となった北条英時、足利尊氏正室の赤橋登子は孫にあたる。義宗が若くして死去したため、いずれも義宗死後に生まれていることになる。
- 諱の「宗」の字は、元服時に将軍・宗尊親王より偏諱を受けたものとされる。赤橋流北条氏は、北条氏一門において得宗家に次ぐ高い家格を有しており、得宗家の当主以外では赤橋流北条氏の当主だけが元服時に将軍を烏帽子親としてその一字を与えられる特権を許されていた[1]。執権・得宗家当主の北条時宗と同じく「宗」の字を二文字目においているのもこれによるものであり、これに伴って(時宗と同名を避けるため)1文字目には通字の「時」ではなく、曾祖父・北条義時の1字である「義」を使用している。