生年は『三宝院賢俊僧正日記』の暦応5年(1342年)2月条に「大方殿 七十三 卯酉」とあり、これにしたがえば、逆算して文永7年(1270年)となる。
嘉元3年(1305年)に尊氏を生む。この際、紀伊粉河寺の観音に祈ったことから、後年、建武3年(1336年)に粉河寺に戸帳を寄付し、さらに翌年には領地を寄進している。
夫の貞氏の没後も足利氏を支え、尊氏、直義兄弟が倒幕に動いた際には終始行動をともにした。室町幕府成立後は、実家である上杉氏の興隆に力を用いた。
浄妙院殿雪庭と号し、世上は錦小路殿と呼ばれた。また大方禅尼とも呼ばれた。和歌にも通じ、作品が『風雅集』に入選している。法号は果証院殿といい、墓は京都等持院にある。