1945年(昭和20年)5月3日、陸軍所沢飛行場の物資を疎開させるための地下壕造成の際に1基が発見され[1]、所沢国民学校に勤務していた内野弘によって発掘調査が行われた[2]。
この横穴墓は、斜面の中腹に開けられた縦横約0.7メートル、奥行約1.5メートルの羨道の先に、長径2メートル、短径1.5メートルの楕円形で高さ約0.9メートルの玄室が配置されている。羨道と玄室の間は柳瀬川の川原石で封鎖され、床に川原石が敷き詰められた玄室には、頭を北に向けた身長約1.65メートルの男性が伸葬されていた。遺体の右側にも追葬されたとみられる大小2個の頭蓋骨があったが、副葬品はみつかっていない。[3]
この1基の他に1985年(昭和60年)の所在調査によって新たに7基の存在が確認されている[2]。