千代流
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歴史
元々櫛田神社の氏子区域ではなかったが、大正初期に恵比須流と話し合い、恵比須流の加勢町として山笠に参加したのが始まり。
戦後初めて行われた昭和23年(1948年)の山笠では、五番山笠恵比須市千代校区として櫛田入りした。(この年は戦後直後で道路事情が整っていなかったため全流櫛田入りのみ行われた。)
翌年の昭和24年(1949年)に「大津流」として独立し一つの流を結成し山笠に参加した。
その翌年、昭和25年(1950年)、戦後山笠の復興に熱心だったことが博多祇園山笠期成会(後の博多祇園山笠振興会)に認められ正式に山笠に参加。この年、これまで町々で異なった水法被を流で統一する。背中には「千代」と書かれ、町名は襟に入れた。
流の名称も「千代流」と改め、正式に櫛田神社の氏子区域となった。近年では、千代流から氏子総代を出している。
昭和43年(1968年)、千代流の地区改正により、この年から愛好有志が流を支える。
昭和46年(1971年)、流当番制に移行。それまで4種類あった当番法被(長法被)を旧千代西地区のものに統一した。
昭和52年(1977年)「千代流運営委員会」が発足。流当番制から、再び当番町制度に戻るが、持ち回りではなく千代流運営委員会の協議により当番町を決める。