千保川
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中流域の「千保」という地名からとられている[1]。
流路
歴史
1585年(天正13年)の大地震で現在の庄川と千保川の流路が出来たと言われている[1]。
江戸時代までは、庄川の本流として豊富な水の量を誇る河川であった。流域では、高岡市(1609年(慶長14年))、戸出町(1617年(元和3年))などの町が作られ発達した。1654年(承応3年)、加賀藩主・前田利常は瑞龍寺の地を千保川によって削られた事を受け、千保川の水を現在の庄川の本流である中田川へ移すことを命じた(松川除堤防工事[1])。しかし、庄川の左岸の地域の住民の反対により、すぐには移されなかった。
1670年(寛文10年)、加賀藩主・前田綱紀は庄川の扇状地扇頂部の弁才天(現・雄神神社)前で千保川などの各分流を中田川へ一本化するという大工事を始めることとした。これは、大変な工事であり、1714年(正徳4年)に、44年の年月をかけて、ようやく完成した。これにより、現在の千保川の流域が確定した。
昭和期には流域に工場が増え、工場排水により水が酷く汚染されていた。しかし、「千保・小矢部を守る会」の運動により、徐々に水質が改善されていった[1]。