19歳時にダンスショー・イベント・ライブハウス等で司会や歌などのエンターテインメント活動を行いながら、「イトーヨーカドー」で玩具を学ぶためアルバイトを始める。22歳の時にエンターテインメント活動を行う傍ら、土屋品子[注釈 1]とその秘書だった鈴木義弘から刺激を受け、タレントの幅をさらに広げ始める。23歳の時に特技を生かすためクリエイティブ業界を知ろうと、「宣伝会議」のコピーライター養成講座に参加し切り口や発想といった宣伝広告の基礎を学んだ後、27歳時に東京都中央区の広告プロダクションへ出入りしながらイラストレーターとしての活動も行うようになる。その当時、二足のわらじに迷いがあったため、当時のライター兼ディレクターの男性と事務所に出入りをしていたフリーのデザイナーの男性に相談したことを機に背中を押してもらうことになる。エンターテインメント活動を続けながら、31歳の時に玩具の仕事でピストル型シャボン玉のイラストレーションを描いたことを機に埼玉県越谷市の玩具メーカーに出入りし、中国や香港の玩具メーカーへ足を運びながら玩具の製造工程を学び、その後、玩具プロデューサー、中国香港玩具評論家としての顔も持つようになる。
2000年、あるラジオディレクターに声を生かす仕事を高く評価され、2012年に大怪我をしたことを機にラジオのレギュラー番組を持ちたいと決意して「ネットテレビ・東京墨田放送局すみだリヴァー せんちゃんの今日も、やるなぁ~!」「コミュニティFM放送局 ハローハッピー こしがや エフエム / モーニングライブ ハロー 868」「コミュニティFM放送局 エフエム世田谷 せんちゃんとさゆりのきらめきアモーレステーション」「コミュニティFM放送局 エフエム世田谷 せんちゃん・ユメル のサクラサクハートフルプレイス」「コミュニティFM放送局 市川うららFM せんちゃんのセンスdeいっぱい」などのパーソナリティーおよびイベント司会者などとしてタレント活動をしている。