千葉敦子
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- 1940年 中国上海生まれ[1]。
- 1964年 学習院大学政経学部卒業後、東京新聞に入社、経済部記者となる。
- 1967年 ニーマン基金を得て、ハーバード大学大学院に留学。帰国後、東京新聞を退社し、PR会社勤務、調査会社取締役を務める。
- 1975年頃からフリーランスジャーナリストとして活動。「アジア・ウォールストリート・ジャーナル」「インスティテューショナル・インヴェスター」「フォーブス」「フォーチュン」「オーストラリアン・フィナンシャル・レヴュー」などに寄稿した。
- 1981年 乳ガン手術と乳房再建手術を東京都駒込病院で受ける。
- 1983年 ガンが鎖骨上に再発、放射線治療を受ける。ニューヨークに移住。
- 1984年 ガン再々発。
- 1986年 3度目のガン再発。4月、月刊ニューズレター『WOMAN WATCH』発行。アメリカ、世界における女性の動きを日本の読者に伝える。11月、「『死への準備』日記」「朝日ジャーナル」にて連載開始。
- 1987年7月9日 入院先のスローン・ケッタリング記念病院にてガンのため死去。
- 1988年 遺言によりニューヨークに財団法人「千葉敦子基金」設立。
- 1990年2月 ハーバード大学ニーマン基金本部との合意により、同大学内に「千葉・ニーマン基金」が設けられる[1]。
著作
- 『アイデア商人』KKベストセラーズ、1969年。
- 『乳ガンなんかに敗けられない』文藝春秋、1981年。のち文春文庫。
- 『ニュー・ウーマン』文化出版局、1982年。のち知的生きかた文庫、三笠書房(単行本)。
- 『わたしの乳房再建』朝日新聞社、1982年。のち文春文庫。
- 『いのちの手紙』(箙田鶴子との往復書簡)筑摩書房、1983年。のちちくま文庫。
- 『千葉敦子のななめ読み日記』同時代社、1983年。のち知的生きかた文庫。
- 『寄りかかっては生きられない』光風社出版、1983年。のち文春文庫。
- 『ちょっとおかしいぞ、日本人』新潮社、1985年。のち新潮文庫。
- 『ニューヨークでがんと生きる』朝日新聞社、1986年。のち朝日文庫、文春文庫。
- 『ニューヨークの24時間』彩古書房、1986年。のち文春文庫。
- 『アメリカの男と女』彩古書房、1987年。
- 『よく死ぬことは、よく生きることだ』文藝春秋、1987年。のち文春文庫。
- 『「死への準備」日記』朝日新聞社、1987年。のち朝日文庫、文春文庫。
- 『昨日と違う今日を生きる』角川文庫、1988年。
- 千葉富貴子編『母への手紙』意識教育研究所、1994年。
訳書
- アモス・エロン、サナ・ハッサン 『敵視の狭間で 対話/アラブ・イスラエルに愛は甦るか』TBSブリタニカ、1976年。