千貫神社
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位置
北緯38度5分26.8秒 東経140度50分34.7秒 / 北緯38.090778度 東経140.842972度座標: 北緯38度5分26.8秒 東経140度50分34.7秒 / 北緯38.090778度 東経140.842972度
主祭神
大山祇神
| 千貫神社 | |
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千貫神社の鳥居 (2021年12月30日) | |
| 所在地 | 宮城県岩沼市南長谷字諏訪128-2 |
| 位置 | 北緯38度5分26.8秒 東経140度50分34.7秒 / 北緯38.090778度 東経140.842972度座標: 北緯38度5分26.8秒 東経140度50分34.7秒 / 北緯38.090778度 東経140.842972度 |
| 主祭神 | 大山祇神 |
| 社格等 | 村社 |
| 創建 | 天平元年(729年) |
| 本殿の様式 | 流造 |
| 別名 | (旧称)深山神社 |
| 例祭 | 4月15日 |
| 地図 | |
千貫神社(せんがんじんじゃ)は、宮城県岩沼市南長谷にある神社である。 旧社格は村社。デザイナーの中野裕通の生家である[1][2]。
立地
由緒
阿武隈川の伝承
岩沼市の西側に、深山(みやま=千貫山)という山があり、そこには千貫神社があった。この深山と対岸の亘理町の烏鳥屋山(からすとややま)との間で、阿武隈川が大きく蛇行して流れるようになったことについて、次のような伝説がある。
- ある日、山の神と川の神が出会った時、山の神は「ここまで山を作ってきたから、もっと北まで延長したい」といい、川の神は「この辺で川を海へと向かわせたい」と言った。お互い一歩も譲らないので、近くの深山という山を早く10周した方の意見に従うということになった。一斉に山の神と川の神が競争を始めたが、7周目に入ったところ、山の神がちょうど深山に咲いていたツツジに目を奪われ、ツツジの根に足を取られ転んでしまった。山の神が転んで遅れを取った間に川の神がどんどん差をつけてしまい勝利したという。
そのため、川の神である安福河伯神社付近から阿武隈川は東に流れを変え、太平洋に向かうように流れていると伝えられている。
この山の神が千貫神社(旧称深山大権現)の祭神の大山祇神であり、川の神は阿武隈川を挟んで対岸の亘理町に鎮座する安福河伯神社の祭神の速秋津比売神であるという。
慶長三陸地震津波の伝承
例祭と海遊び神事の伝承
例祭日は4月15日であるが、これは元々合祀前の深山神社と雷神社の梅若祭の日であった[9]。例祭日における神輿渡御は延暦年間から始まったとされ、岩沼の藤波、玉浦の早股、押分、寺島、蒲崎、長谷釜の6村を神輿が渡御したが、その中でも長谷釜では海遊びの特殊神事が行われた[10]。
この海遊び神事の御旅所である斎家では、神輿が表口ではなく台所から入る習わしがあり、下記の伝承が残されている[11]。
- 昔この家に一人の女中がおつた。陰日向なく働くお陰で、一家は毎日明るい生活を送り、家財も逐次増えていく一方であつた。しかし不思議な事が一つある。それはこの女中の食事する姿をついぞ誰一人として見たことがない、それが長い月日のことである。聴いても尋ねても笑つて答えない。遂に主人は好奇心から密かに夜をこめて監視すると、なんと女中は夜半一人日何やら煮始めた。これだとばかり、主人は女中の遮るのも押し除けて鍋の蓋をとつて見ると、その中で得体の知れぬものがぐつぐつと煮え立つており、よく見れば米粒も僅かにある。それは女中が台所の流し口に袋をかけ、家人の食い余りや捨てたものを丹念に集め、夜に入つて人々の休むを待ち、料理つて喰べていたのであつた。どうしてこんなことをするのかと主人の問にも答えず、女中はその夜限り同家から姿を消してしまつた。家人総出で捜しあぐんだ頃、人々の眼に遥か西の方深山のあたりに、火がぽつんと上つて行くのが見られた。それからはこの家も逐次衰え始めたという。物を粗末にするを戒めるため、深山さんが仮に女中に姿を変えておられたのだと今に語り継いでいる。
