南平 (日野市)

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南平
町丁
南平丘陵公園
北緯35度39分27秒 東経139度23分54秒 / 北緯35.657433度 東経139.398319度 / 35.657433; 139.398319
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京都
市町村 日野市
人口情報2025年(令和7年)8月1日現在[1]
 人口 16,110 人
 世帯数 8,072 世帯
面積[2]
  1.96 km²
人口密度 8219.39 人/km²
郵便番号 191-0041[3]
市外局番 042(立川MA[4]
ナンバープレート 八王子
ポータルアイコン ポータル 日本の町・字
ポータルアイコン ポータル 東京都
プロジェクト 日本の町・字
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南平(みなみだいら)は、東京都日野市の地名[5]。現行行政地名は南平一丁目から南平九丁目。住居表示未実施。

隣接地区

日野市南部に位置する。浅川南側の台地丘陵地にあたり、北側の浅川河川敷沿いで東豊田大字川辺堀之内・大字上田万願寺、東で高幡、南東で三沢、南で程久保、南西で平山、西の浅川河川敷沿いで豊田と接する。

地名の由来

「平村」の由来はかつて地内を平資綱が所有したことによると言われる[5]。江戸期の小名「こんどう谷戸」にあった古碑が平資綱墓と伝えられる[5]が、この古碑については他にも平維盛墓等諸説ある[6]。この平村が1878年(明治11年)の郡区町村編制法の施行によって神奈川県南多摩郡に再編入される際、同名の平村が現在の八王子市域(現在の八王子市平町)にあり、より南にあったために南平村とした[5]。現在の「南平」の名はこの村名を由来とする。 地元住民は「なんぺー」と呼ぶことが多い

市内

下記テンプレートを参照

河川

地価

住宅地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、南平2丁目51番2の地点で11万3000円/m2、南平5丁目18番29外の地点で18万6000円/m2、南平6丁目20番15の地点で21万5000円/m2となっている[7]

歴史

江戸時代には平村と呼ばれ多摩郡小宮領または日野領に属し江戸期初めは天領、後には旗本松平氏の知行だった。『武蔵田園簿』によれば村高は田135・畑56石余の計191石余、「元禄郷帳」では278石余、「天保郷帳」では345石余とされる[5]名主は井手家の代々世襲だった。この井手家は戦国期には駿河今川氏に仕えていたとされる[5]。平村は明治5年(1872年)に 神奈川県南多摩郡に編入、1873年明治6年)に区番組制の施行により第八区第七番組に編入、1876年(明治9年)大区小区制の施行により第九大区第五小区に編入されたが、1878年(明治11年)の郡区町村編制法施行により大区小区が廃止され神奈川県南多摩郡に再度属した際に、同名の「平村」が郡内(現在の八王子市平町)にあったため南平村と村名が変更された[5]。この南平村は1884年(明治17年)8ヶ村連合で戸長役場を設置したが、1889年(明治22年)の町村制施行により廃止され、神奈川県南多摩郡七生村の大字となった[5]1893年(明治26年)には南多摩郡が東京府へ編入され、東京府南多摩郡七生村の大字となり、1943年東京都制の施行により東京都南多摩郡七生村の大字、1958年昭和33年)の七生村の日野町との合併により東京都南多摩郡日野町の大字となった[5]1963年(昭和38年)には日野町の市制施行により東京都日野市の大字となり、1975年(昭和50年)には地番町名整理の一環として一部を旭が丘一丁目から旭が丘六丁目の一部として分離し、残部をもって南平及び南平一丁目から南平九丁目としている[5]

沿革

  • 江戸時代 - はじめ天領後に旗本松平氏の知行となる。
  • 明治5年(1872年) - 平村が神奈川県南多摩郡に編入される。
  • 1873年(明治6年) - 区番組制の施行により、平村が第八区第七番組に編入される。
  • 1876年(明治9年) - 大区小区制の施行により、第九大区第五小区に編入される。
  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により大区小区が廃止され神奈川県南多摩郡に再度属する。 この際に南平村と村名が変更される。
  • 1884年(明治17年) - 8ヶ村連合で戸長役場を設置する。
  • 1889年(明治22年) - 町村制施行により、神奈川県南多摩郡七生村の大字となる。
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 南多摩郡が東京府へ編入され、東京府南多摩郡七生村の大字となる。
  • 1958年(昭和33年) - 七生村の日野町との合併により東京都南多摩郡日野町の大字となる。
  • 1963年(昭和38年) - 日野町の市制施行により東京都日野市の大字となる。
  • 1975年(昭和50年) - 一部を旭が丘一丁目から旭が丘六丁目の一部として分離し、残部をもって南平及び南平一丁目から南平九丁目とする。
  • 2010年(平成22年)- 町名地番未整理の1564・1574番地を程久保の一部とともに新設された三沢五丁目の一部とする。

世帯数と人口

2025年(令和7年)8月1日現在(日野市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
南平一丁目 1,137世帯 2,392人
南平二丁目 1,387世帯 2,869人
南平三丁目 674世帯 1,218人
南平四丁目 802世帯 1,619人
南平五丁目 1,422世帯 2,758人
南平六丁目 795世帯 1,641人
南平七丁目 631世帯 1,183人
南平八丁目 578世帯 1,029人
南平九丁目 646世帯 1,401人
8,072世帯 16,110人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[8]
16,421
2000年(平成12年)[9]
17,519
2005年(平成17年)[10]
17,189
2010年(平成22年)[11]
17,074
2015年(平成27年)[12]
16,847
2020年(令和2年)[13]
16,740

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[8]
6,249
2000年(平成12年)[9]
6,963
2005年(平成17年)[10]
7,050
2010年(平成22年)[11]
7,406
2015年(平成27年)[12]
7,508
2020年(令和2年)[13]
7,905

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年10月時点)[14]

丁目番地小学校中学校
南平一丁目全域日野市立南平小学校日野市立七生中学校
南平二丁目全域
南平三丁目全域
南平四丁目全域
南平五丁目全域
南平六丁目1〜21番地
22〜28番地日野市立平山小学校
南平七丁目全域
南平八丁目全域
南平九丁目全域

交通

鉄道

バス

※ バス停名は「南平」だが、京王線の南平駅とは大きく離れた所にある。

道路

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]

丁目事業所数従業員数
南平一丁目 22事業所 120人
南平二丁目 43事業所 154人
南平三丁目 29事業所 215人
南平四丁目 53事業所 356人
南平五丁目 31事業所 122人
南平六丁目 30事業所 197人
南平七丁目 83事業所 558人
南平八丁目 25事業所 170人
南平九丁目 26事業所 116人
342事業所 2,008人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[16]
356
2021年(令和3年)[15]
342

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[16]
1,945
2021年(令和3年)[15]
2,008

施設

東京都立南平高等学校

教育

商業

諸施設

  • 公園
    • 南平丘陵公園
    • 都立七生公園
  • 地区センター
    • 南平南部地区センター
    • 見晴らし台地区センター
    • みなみヶ丘地区センター
    • 鹿島台地区センター
    • 新川辺地区センター
    • 田中地区センター

その他

脚注

関連項目

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