南広郡 中国の三国時代から南北朝時代にかけて存在した郡 From Wikipedia, the free encyclopedia 南広郡(南廣郡、なんこう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。三国時代から南北朝時代にかけて、現在の雲南省昭通市一帯に設置された。 概要 蜀漢の延熙年間に南広郡が置かれた。南広郡は南広・臨利・常遷・新興の4県を管轄した。9年後に廃止された[1]。 晋の懐帝のとき、朱提郡が分割されて南広郡が立てられた。南広郡は寧州に属し、郡治は南広県に置かれた。 南朝宋のとき、南広郡は南広・新興・晋昌・常遷の4県を管轄した[2]。 南朝斉のとき、南広郡は南広・常遷・晋昌・新興の4県を管轄した[3]。 南朝梁のとき、南広県に六同郡が置かれた。 583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、六同郡は廃止されて、戎州に編入された[4]。 脚注 [1]『華陽国志』南中志 [2]『宋書』州郡志四 [3]『南斉書』州郡志下 [4]『隋書』地理志上 Related Articles