南河内町
日本の栃木県河内郡にあった町
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地理
歴史
旧石器時代から先人が住み始めたといわれ、絹板六大遺跡や北原古墳群等が残される。
飛鳥時代後期には、旧東山道が通っており下野薬師寺が建立された。下野薬師寺には、僧侶の修行の場である戒壇院が設けられ、奈良の東大寺・九州の観世音寺の戒壇院と共に日本三戒壇と呼ばれている。現在では近世建立の六角堂のみが残されており、回廊の一部等が復元されている。
江戸時代以前は、大字薬師寺、大字本吉田等は河内郡に属し、大字三王山、大字上吉田、大字下吉田、大字花田、大字下坪山等いくつかの村々は都賀郡に属していたが、後に河内郡に属すことになる。[要出典]大字本吉田村は鎌倉時代より鬼怒川右岸の船運により栄えていた地域といわれている。
中世以降、小山氏一族の薬師寺氏、結城氏の配下に置かれた。江戸期には佐竹氏、または、旗本・代官の支配地になり、いくつかの村が秋田藩にも属した。
明治期、廃藩置県により多くが日光県に属し、石橋分庁舎の管轄に置かれた。1873年(明治6年)には栃木県となり静かな農村地帯として歩む。
1972年に自治医科大学が開学し、さらに1983年には国鉄(当時)自治医大駅(国分寺町(現下野市))が開業すると、住宅・都市整備公団による自治医大周辺の都市開発が進み、1990年の国勢調査で13,224人だった人口が2000年の国勢調査では21,235人まで増加し、合併前の旧3町のうちで最も人口が多かった[1]。
沿革
行政
- 南河内村長
| 代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 岩瀬鉾太郎 | 1955年(昭和30年)5月20日 | 1959年(昭和34年)5月19日 | 元吉田村長 |
| 2 | 園部一郎 | 1959年(昭和34年)5月20日 | 1967年(昭和42年)5月19日 | 元薬師寺村長 |
| 3 | 野沢宗治 | 1967年(昭和42年)5月20日 | 1971年(昭和46年)3月31日 |
- 南河内町長
| 代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 野沢宗治 | 1971年(昭和46年)4月1日 | 1991年(平成3年)5月19日 | |
| 2 | 坂本信亥 | 1991年(平成3年)5月20日 | 1999年(平成11年)5月19日 | |
| 3 | 宇賀持正紀 | 1999年(平成11年)5月20日 | 2006年(平成18年)1月9日 | 下野市の市長職務執行者に就任 |
出典:『栃木県町村会七十年史』, p. 463、『栃木県歴史人物事典』, p. 673-674
広域行政
県の管轄が県河内庁舎に属し、ゴミ清掃・保健衛生等の広域行政は小山市を中心とした1市3町に属している。また、消防組合は石橋町を中心とした、石橋地区5町で構成し、自衛隊の管轄は真岡事務所である。
独自の行政
県内では先駆け、住民自治が比較的進んでおり、住民が自ら制定したまちづくり基本条例や、環境基本条例等がある。環境面では、国分寺町と南河内町内のスーパー・コンビニなどでノーレジ袋デーが実施され、住民の活動が盛んである。
経済
地域
交通
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 下野薬師寺
- エコライフまつり
- 白鳳ふれあい祭(旧南河内町民まつり)