南義郎
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山梨県[1][2]甲府市出身。1921年に上京し[2]、同8月に歯科技工士となる。その傍ら、歯科医の義兄より日本画を教わる。
1930年より新聞や雑誌への投稿を初め、1933年には漫画家団体である新鋭漫畫グループを結成した。1933年から1936年にかけて『東京パック』に執筆の他、戦前から戦中にかけて多くの執筆活動を行った。その後、1944年に新漫画派集団に加わるが、1945年に空襲により罹災。山形県に疎開後、終戦。1948年に日本共産党に入党している[1][2]。その後は様々な雑誌や新聞への執筆を行いながら「平和のための美術展」に多く出品した。1966年頃より胆石による入退院の後、1970年12月3日に胆汁性肝硬変により死去。