1983年に越秀区象崗山で発見された。花崗岩の小山に墓坑を掘り、「早」字型の墓室を築造していた。墓室は前室・東西の耳室・主室・東西の側室・後蔵室など7室からなり、砂岩の大きな石板を用いて全体が築きあげられている。全長10.85m、幅12.5mで、南側に長さ10.3m、幅2.6mの墓道が設けられていた。漆塗りの棺と槨は、発掘時には朽ち果てていた。
墓内の東西の側室・前室・東の耳室および墓道で、15名の殉葬者の遺体が確認されたが、いずれも文王の姫妾・侍従・婢女などであると考えられる。
被葬者が身に着けていた玉衣は「糸縷玉衣」というべきものであった。玉衣の両脇には、透かし彫りの円形玉飾があり、また腰の両側には、長さ1.2mの鉄剣が10本置かれていた。胸には玉の佩飾をつけ、金・銀・玉・銅・ガラスなどの珠でできた首飾りをかけていた。
被葬者の遺体の上では、9個の印章が発見され、そのうち龍紐金印の「文帝行璽」と玉印の「趙眜」の刻字により、被葬者が第二代南越王の趙眜であると確認できた。
副葬品は1000点あまりに達し、直径41.5cmの銅鏡や六博漆盤と六博子などが出土している。銅鐘には「文帝九年樂府工造」の銘があった。
1988年2月8日、陵墓跡に西漢南越王博物館が開設され、1996年11月20日には全国重点文物保護単位に指定されている。