南部祐長 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 南北朝時代 - 室町時代生誕 不詳死没 不詳別名 茂行、政光、雅楽助 凡例南部祐長時代 南北朝時代 - 室町時代生誕 不詳死没 不詳別名 茂行、政光、雅楽助氏族 南部氏父母 父:南部義行?、南部茂時?テンプレートを表示 南部 祐長(なんぶ すけなが)は、南北朝時代から室町時代の武将。 南部義行の子として茂時・信長・為重らの弟とも、南部茂時の子ともされる。この付近の南部氏系譜は異同が多く、系譜上の位置関係・名称に混乱があり血縁関係ははっきりしない。 『寛政重修諸家譜』で祐長は兄・為重とともに茂時の子とされる。『身延町誌』では茂行とあり義行の子で義重・茂時・信長・仲行の弟。『南部町誌』は複数の系譜を収録するが、全て茂行で、そのうち「参考諸家系図」の一系図では別名を政光・茂仲としている。 生涯 正平15年(1360年)6月5日、公[1]泰請して叔父茂行を陸奥国津軽田舎郡冬井、日野間両郷、并に外ケ浜野尻郷を相伝領掌するという(『南部史要』)[2][3][4]。ただし『身延町誌』はこの件について、相伝領掌した南部雅楽助は三戸の茂行だと推定されたと述べた上で、これは波木井南部氏の南部政光のこととする。 また、『南部史談会誌』では祐長について、茂時の子・茂行の別名とする記述があると指摘している。 脚注 ↑ 三戸南部氏12代南部政行。 ↑ 『南部史要』では南部雅楽助を茂行としている。 ↑ この地は盛岡南部家に伝わる古文書から北畠顕信の御教書によって南部雅楽助宛に下されている事が明らかになっている。『八戸根城と南部家文書』において南部系図には信長弟茂行としてあるというが、慎重な検討を要するとする。 ↑ また同じ日付で南部信光とされている南部薩摩守に津軽田舎郡黒石郷と鼻和郡目谷郷等が相伝領掌されている この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles