1970年、3浪して22歳で獨協大学に入学。同年、TBS系の若者向け深夜番組「サタデーヤングナイト」の勝ち抜き歌合戦に出場し、浪人中に制作した『女風呂の唄』で優勝。この曲で日本フォノグラムからデビューした。当時『帰ってきたヨッパライ』の大ヒットを受け、各社とも一斉に「アングラレコード」をリリースしていた時期で[2]、『女風呂の唄』はオリコンチャート初登場76位、45,000枚のスマッシュヒットとなった[3][4]が、放送禁止を食らった(なお、古谷三敏の手掛けたジャケットは、おっぱいが見えているので、Discogsでも規制されている)。同年、『いちどは行きたい女風呂』として日活で映画化された。「ナンセンスフォークの王様」として、ソロとしてシングルを3枚、アルバムを1枚リリースしたのち、学業に専念。
1975年、東映演技研究所で知り合った三浦通孝、武藤信一とともに、「南雲鈴之助」の名義で「珍道中」を結成し、『お姉様のバラード』(編曲・近田春夫、演奏・ハルヲフォン)でデビュー。1976年、「珍道中」として『みそ汁の詩』をリリース。これはそれほどヒットしなかったが、1978年に千昌夫がカバーしたバージョンがヒットしている。
1977年、若三杉ブームとディスコブームに便乗して、「ドクター南雲」の名義で「ドクター南雲とシルバーヘッドホーン/DJ.ウルフマン・ベティー」として『ソウル若三杉』をリリース。なお若三杉の出演するキッコーマンのCMソング(「ソース若三杉」)とは別の曲である。同年、「ドクター南雲とシルバーヘッドホン/DJ.ウルフマンスージー」として、東京12チャンネル「対決!スーパーカークイズ」テーマソング『あこがれのスーパーカー』をリリース。
1981年、ビニ本ブームとノーパン喫茶ブームに便乗して、「ドクター南雲とプッシーキャッツ」として『ノーパン・ブギ』をリリース。自らレコード会社「ドクター・レコード」を設立し、ビニ本を模して、ビニールで密封したレコードの通信販売を行った。この時期はエロ・サブカル系のライターとして活動し、また役者として細山智明のピンク映画に何作か出演している。
1986年、「Dr.南雲」の名義で、パックンギャルズ(カトリーヌ村井、エリザベス染谷、南ももこ、田代葉子によるコーラスユニット)とともに、この時期にプロレスに転向した輪島の応援ソング『スーパー輪島☆スター』をリリース。