南雲克郎
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山形県米沢市出身。父は陸軍少将・満洲国軍中将の南雲親一郎。真珠湾攻撃などを指揮した海軍の南雲忠一大将は父の従弟とされ[3]、本人も南雲大将の甥として紹介されている[4]。
原隊は歩兵第7連隊。少尉任官後、62代連隊旗手を拝命する[5]。
大戦末期に予科士官学校区隊長に発令され、1945年春より群馬県新鹿沢に疎開。食糧不足からニラやノビル、カエルやマムシを食するような状況で、営内に漂う悪臭に閉口していたという[6]。
7月末より各中隊より選抜された60期~61期生徒50名を引率し、山形県飽海郡本楯村の海岸にて製塩作業中に終戦を迎える[4]。
戦後は公職追放を経て陸上自衛隊に入隊。第22普通科連隊長、自衛隊長野地方連絡部長を歴任し、第11師団副師団長兼真駒内駐とん地司令で退職後は、綜合警備保障(株)(現ALSOK)専務を経て子会社の綜警電気工事(株)社長[7]。