博経親王妃郁子
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華頂宮博経親王と結婚し、1875年(明治8年)1月18日に長男博厚が誕生する。しかし、1876年(明治9年)5月24日に博経親王は、薨去する。嗣子の博厚もまた1883年(明治16年)2月15日に薨去(同日付で親王宣下)する。
華頂宮は、伏見宮家の博恭王が継承することとなったが、1904年(明治37年)1月に伏見宮家の嗣子邦芳王が「不治の病」を理由に廃嫡され[2]、博恭王が伏見宮家に復帰してその子博忠王が華頂宮を継承した[3][注釈 1]。
1908年(明治41年)3月、郁子妃は急性脊髄炎を発病し、一時は快方に向かうものの、同年11月7日頃から神経痛が再発し、同月13日午後8時30分に療養先の鎌倉で危篤となる[4]。11月14日に帰京の後[4]、午後11時に薨去した[5]。