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豊島岡墓地

日本の東京都文京区にある皇族専用の墓地 From Wikipedia, the free encyclopedia

豊島岡墓地(としまがおかぼち)は、東京都文京区大塚5丁目にある、皇族皇后になった者を除く)専用の墓地である。護国寺に隣接する。

開園 1873年(明治6年)9月22日
日本の旗 日本
座標 北緯35.722度 東経139.727度 / 35.722; 139.727
概要 詳細, 開園 ...
豊島岡墓地
豊島岡墓地正門
豊島岡墓地の位置(東京山手線内内)
豊島岡墓地
豊島岡墓地の位置(東京23区内)
豊島岡墓地
詳細
開園 1873年(明治6年)9月22日
所在地
日本の旗 日本
座標 北緯35.722度 東経139.727度 / 35.722; 139.727
運営者 宮内庁
総面積 80472平方メートル
建墓数 60基
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概要

墓地の広さは80472平方メートル、墓数は61基(被葬者は皇族以外の者を含む63名)。墓地の始まりは1873年(明治6年)、明治天皇の第1皇子である稚瑞照彦尊が死産した際、明治政府皇居に近い東京府豊島郡の護国寺所有地に目を付けて使用を始めた。以後「」に埋葬される天皇と皇后を除く皇族専用の墓地として整備されてきた。

宮内庁が管理する皇室財産であり、基本的な保全費用と断絶した宮家の墓石の修繕費は国家予算に基づく宮内庁費で負担しているが、墓石の修繕などの一部は、祭祀を行う皇族が皇室経済法に則った費用で負担する。警備上、ここに墓参できるのは天皇や皇族のほか、事前に許可を受けた縁故者または関係者に限られる。皇族の葬儀や祭事に際して記帳や参拝を受け付ける場合などを除き、一般国民が敷地内に立ち入って墓前参拝をすることはできない。

豊島岡墓地においては、皇族の葬儀(斂葬の儀)が執り行われる。貞明皇后香淳皇后の大葬の礼も当地で行われた。

豊島岡墓地は皇族専用の墓地であるため、ここに葬られるのは原則として薨去の時点で皇族であった者(民間から皇室に嫁いだ女性も含む)に限られ、生まれながらの皇族であっても生前に自ら皇籍を離脱した者は葬られない。ただし、明治天皇の生母である中山慶子やその父の中山忠能などは皇族に準ずるとして埋葬を許されたほか、久邇朝融(香淳皇后の実兄/皇籍離脱前は久邇宮朝融王)や東久邇稔彦(第43代内閣総理大臣/皇籍離脱前は東久邇宮稔彦王)、昭和天皇第1皇女で、盛厚王の妃となった東久邇成子(戦後、舅の稔彦王に随って皇籍離脱する前は成子内親王)など、1947年(昭和22年)10月14日に皇籍離脱した、いわゆる「旧皇族」の一部も特例として同地に葬られている。

施設の内部

正門を入って程なく右手に参集所があり、墓参者が休憩できるようになっている。参集所は宮内庁書陵部の管理棟も兼ねている。参集所の周りは割石を敷き詰めた庭と駐車場で、その奥は広めの空き地となっており、皇族の葬儀が執り行われる際に祭壇を設けるための礎石がある。あとの敷地内はほとんどが雑木林であり、いわゆる「音羽の森」の面影を残し、池袋周辺などに出没するカラスたちの宿り木となっている。この林のところどころを切り開き、それぞれの宮家ごとに鳥居と柵で囲われた区画が造られている。隣接する護国寺との境界は地図等では識別しにくいが、侵入防止用のコンクリート塀や池などで仕切られている。

明治期から第二次世界大戦ごろまでに建立された墳墓はほとんどが土葬であったため、現在の民間でよく行われるように1つの墓に複数の被葬者を合葬するのではなく、被葬者1人につき1基が設けられている。形はほとんどが明治以降の天皇と同じ円墳もしくは上円下方墳であるが、大きさは天皇陵に比べるとはるかに小さく、宮家当主の墓でも幅・高さとも2メートル以内のものが多い。一方、戦後に建立された墳墓は若干大型化した代わりに遺体を(近年は落合斎場で)火葬に付し、秩父宮雍仁親王同妃勢津子高松宮宣仁親王同妃喜久子三笠宮崇仁親王同妃百合子のように一つの墓に夫婦合葬する傾向にある。

豊島岡墓地の歴史

元々は隣接する護国寺の所有地であったが、明治政府により召し上げられた場所である。文京区内では小高い標高34メートル近辺にあるため、権現山などと呼ばれていたようである。江戸時代中期以降、天皇家の墓所は京都の泉涌寺にあり、その他の宮家も京都市内および周辺地区の寺院に墓所が点在している状況であり、いずれも明治以降に事実上の首都となった東京からは遠方にあった。そのため、1873年(明治6年)に明治天皇の第一皇子である稚瑞照彦尊が死産した際には、東京市周辺に墓所及び葬送儀式を行う広い面積を持つ場所が必要となった。明治政府が複数の候補地の中から同地を選定し、1873年(明治6年)9月22日に「豊島ヶ岡御陵」と命名して使用を開始した。以降、皇族の葬送儀式を執り行う場所として、また墓地として利用されている。現在用いられている「豊島岡墓地」の名称は、1927年昭和2年)10月29日付の宮内省告示第23号で正式に命名された。

被葬者一覧

さらに見る 名・諡号・法名等, 薨去・死去日 ...
名・諡号・法名等 薨去・死去日 宮家・旧宮家等 続柄・備考
高琳院松誉宝月円清大姉1700年10月16日元禄13年9月5日)有栖川宮高松宮好仁親王第2王女。1927年昭和2年)、天徳寺より改葬。
熾仁親王妃貞子1872年明治5年)2月17日有栖川宮徳川斉昭11女。1927年、東海寺大山墓地より改葬。
稚瑞照彦尊1873年明治6年)9月18日明治天皇直宮明治天皇第1皇子。
稚高依姫尊1873年(明治6年)11月13日明治天皇直宮明治天皇第1皇女。
幟仁親王妃広子1875年(明治8年)7月9日有栖川宮二条斉信5女。1927年、東海寺大山墓地より改葬。
博経親王1876年明治9年)5月24日華頂宮邦家親王第12王子。
薫子内親王1876年(明治9年)6月8日明治天皇直宮明治天皇第2皇女。
敬仁親王1878年(明治11年)7月26日明治天皇直宮明治天皇第2皇子。
昭徳王1883年(明治16年)2月6日伏見宮貞愛親王第3王子。
博厚親王1883年(明治16年)2月15日華頂宮博経親王第1王子。
韶子内親王1883年(明治16年)9月6日明治天皇直宮明治天皇第3皇女。
章子内親王1883年(明治16年)9月8日明治天皇直宮明治天皇第4皇女。
幟仁親王1886年(明治19年)1月24日有栖川宮韶仁親王第1王子。
延久王1886年(明治19年)6月28日北白川宮能久親王第2王子。
績子女王1886年(明治19年)9月30日有栖川宮威仁親王第1王女。
静子内親王1887年(明治20年)4月4日明治天皇直宮明治天皇第5皇女。
中山忠能1888年(明治21年)6月12日(皇室外)明治天皇外祖父。
猷仁親王1888年(明治21年)11月12日明治天皇直宮明治天皇第4皇子。
信子女王1892年(明治25年)1月22日北白川宮能久親王第4王女。
篤仁王1894年(明治27年)7月10日閑院宮載仁親王第1王子。
輝仁親王1894年(明治27年)8月17日明治天皇直宮明治天皇第5皇子。
熾仁親王1895年(明治28年)1月15日有栖川宮幟仁親王第1王子。
能久親王1895年(明治28年)10月28日北白川宮邦家親王第9王子。
多喜子内親王1899年(明治32年)1月11日明治天皇直宮明治天皇第10皇女。
菊麿王妃範子1901年(明治34年)11月11日山階宮九条道孝次女。
彰仁親王1903年(明治36年)2月26日小松宮邦家親王第8王子。
中山慶子1907年(明治40年)10月5日(皇室外)中山忠能次女。明治天皇生母。
博経親王妃郁子1908年(明治41年)11月14日華頂宮南部利剛長女。
栽仁王1908年(明治41年)4月3日有栖川宮威仁親王第1王子。
菊麿王1908年(明治41年)5月2日山階宮晃親王第1王子。
威仁親王1913年大正2年)7月5日有栖川宮幟仁親王第4王子。
季子女王1914年大正3年)7月17日閑院宮載仁親王第3王女。
彰仁親王妃頼子1914年(大正3年)6月26日小松宮有馬頼咸長女。
依仁親王1922年(大正11年)6月27日東伏見宮邦家親王第17王子。
貞愛親王1923年(大正12年)2月4日伏見宮邦家親王第14王子。
熾仁親王妃董子1923年(大正12年)2月7日有栖川宮溝口直溥養女。
成久王1923年(大正12年)4月1日北白川宮能久親王第3王子。
威仁親王妃慰子1923年(大正12年)6月29日有栖川宮前田慶寧4女。
寛子女王1923年(大正12年)9月1日閑院宮載仁親王第4王女。
武彦王妃佐紀子女王1923年(大正12年)9月1日山階宮邦憲王第2王女。
師正王1923年(大正12年)9月1日東久邇宮稔彦王第2王子。
博忠王1924年(大正13年)3月19日華頂宮博恭王王子。
貞愛親王妃利子女王1927年昭和2年)10月24日伏見宮幟仁親王第4王女。
祐子内親王1928年昭和3年)3月8日昭和天皇直宮昭和天皇第2皇女。
邦彦王1929年(昭和4年)1月27日久邇宮朝彦親王第3王子。香淳皇后実父。
邦芳王1933年(昭和8年)6月1日伏見宮貞愛親王第2王子。
鳩彦王妃允子内親王1933年(昭和8年)11月3日朝香宮明治天皇第8皇女。
能久親王妃富子1936年(昭和11年)3月20日北白川宮伊達宗徳次女。
令子女王1937年(昭和12年)10月25日伏見宮博義王第2王女。
博義王1938年(昭和13年)10月19日伏見宮博恭王第1王子。
菊麿王妃常子1938年(昭和13年)2月26日山階宮島津忠義4女。
博恭王妃経子1939年(昭和14年)8月18日伏見宮徳川慶喜9女。
永久王1940年(昭和15年)9月4日北白川宮成久王第1王子。
載仁親王1945年(昭和20年)5月20日閑院宮邦家親王第16王子。
博恭王1946年(昭和21年)8月16日伏見宮貞愛親王第1王子。
載仁親王妃智恵子1947年(昭和22年)3月19日閑院宮三条実美次女。
朝融王妃知子女王1947年(昭和22年)6月28日久邇宮博恭王第3王女。
梨本守正1951年(昭和26年)1月1日梨本宮朝彦親王第4王子。1947年に皇籍離脱。
朝香千賀子1952年(昭和27年)12月6日旧朝香宮藤堂高紹5女。1947年に皇籍離脱。
雍仁親王1953年(昭和28年)1月4日秩父宮大正天皇第2皇子。
東伏見周子1955年(昭和30年)3月4日旧東伏見宮岩倉具定長女。1947年に皇籍離脱。
久邇俔子1956年(昭和31年)9月9日旧久邇宮島津忠義8女。香淳皇后生母。1947年に皇籍離脱。
久邇朝融1959年(昭和34年)12月7日旧久邇宮邦彦王第1王子。1947年に皇籍離脱。
東久邇成子1961年(昭和36年)7月23日旧東久邇宮昭和天皇第1皇女。1947年に皇籍離脱。
東久邇盛厚1969年(昭和44年)2月1日旧東久邇宮稔彦王第1王子。1947年に皇籍離脱。
伏見朝子1971年(昭和46年)4月3日旧伏見宮一条実輝3女。1947年に皇籍離脱。
北白川房子1974年(昭和49年)8月11日旧北白川宮明治天皇第7皇女。1947年に皇籍離脱。
梨本伊都子1976年(昭和51年)8月19日旧梨本宮鍋島直大次女。1947年に皇籍離脱。
賀陽恒憲1978年(昭和53年)1月3日賀陽宮邦憲王第1王子。1947年に皇籍離脱。
東久邇聡子1978年(昭和53年)3月5日旧東久邇宮明治天皇第9皇女。1947年に皇籍離脱。
朝香鳩彦1981年(昭和56年)4月12日旧朝香宮朝彦親王第8王子。1947年に皇籍離脱。
賀陽邦寿1986年(昭和61年)4月16日旧賀陽宮恒憲王第1王子。1947年に皇籍離脱。
宣仁親王1987年(昭和62年)2月3日高松宮大正天皇第3皇子。
山階武彦1987年(昭和62年)8月16日旧山階宮菊麿王の第1王子。1947年に皇籍離脱。
閑院純仁1988年(昭和63年)6月18日旧閑院宮載仁親王第2王子。1947年に皇籍離脱。
東久邇稔彦1990年平成2年)1月20日東久邇宮朝彦親王第9王子。1947年に皇籍離脱。
竹田恒徳1992年(平成4年)5月11日竹田宮恒久王第1王子。1947年に皇籍離脱。
朝香孚彦1994年(平成6年)5月6日旧朝香宮鳩彦王第1王子。1947年に皇籍離脱。
賀陽敏子1995年(平成7年)3月23日旧賀陽宮九条道実5女。1947年に皇籍離脱。
雍仁親王妃勢津子1995年平成7年)8月25日秩父宮松平恆雄長女。
伏見和子 1997年平成9年)4月 旧伏見宮 吉川武3女。伏見博明の妻。
憲仁親王2002年(平成14年)11月21日高円宮崇仁親王第3王子。
宣仁親王妃喜久子2004年(平成16年)12月18日高松宮徳川慶久次女。
寬仁親王2012年(平成24年)6月6日三笠宮崇仁親王第1王子。
竹田光子2013年(平成25年)8月11日旧竹田宮三条公輝次女。1947年に皇籍離脱。
宜仁親王2014年(平成26年)6月8日桂宮崇仁親王第2王子。
北白川祥子2015年(平成27年)1月21日旧北白川宮徳川義恕次女。1947年に皇籍離脱。
崇仁親王2016年(平成28年)10月27日三笠宮大正天皇第4皇子。
北白川道久2018年(平成30年)10月20日旧北白川宮永久王第1王子。1947年に皇籍離脱。
東久邇信彦2019年(平成31年)3月20日旧東久邇宮盛厚王第1王子。1947年に皇籍離脱。
崇仁親王妃百合子2024年(令和6年)11月15日三笠宮高木正得次女。
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