印象主義音楽
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ラヴェルは、ピアノ曲において「印象主義的な」作曲を始めたのは自分であって、ドビュッシーよりも先だったと語っている。しかしながら『水の戯れ』のように、印象主義の典型的な音楽語法を採る作品でも、室内楽と同様に厳格なソナタ形式を用いるなど、新古典主義者としての面目は躍如たるものがあり、より自由な形式を好んだドビュッシーとの違いは明確である。ラヴェルの「印象主義的な」作品としては他に、即興的な筆致をとったピアノ組曲『鏡』の中の数曲(「蛾」、「悲しい鳥たち」、「海原の小舟」、「鏡の谷」)にみられるなど、わずかな数にとどまる。それでも情景の直接的な描写ではなく、雰囲気の示唆にとどまっているという点では、ロマン派音楽への反撥を見て取ることができる。
印象主義の音楽とは、美学的に言うと、例えばドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』に見られるように、感情を表現しようとか物語を語ろうとかするのではなく、気分や雰囲気を喚起しようとするものである。印象主義者はこの実現のために、全音音階を積極的に用いて、夢見心地の、ちょうどクロード・モネの画風に見られるような「気だるい」効果を作品にもたらす[3][2]。不協和音の全般的な活用や全音音階の利用は、結果的に和声進行が曖昧になる。17世紀以来の調体系も故意に放棄される。
作曲技法的に言うと、印象主義の作曲家は、数々の作曲技法を開発した(複調性、並進行、三全音を含む和声進行、曖昧模糊の形式感、音色の強調)。楽器の音色の利用は、美術の点描技法の理論に通底する。彩色やイメージ、主題の混合は、推移を極力なめらかにして、辿りにくくさせている。