原勝郎 (歴史家)
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- 出生から修学期
1871年、岩手県盛岡市で旧盛岡藩士・原勝多の長男として生れた。盛岡中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学史学科で学んだ。1896年に卒業[1][2]。同大学大学院に進んだ。
1896年12月から一年志願兵として近衛歩兵第4連隊に入営。1899年2月、陸軍歩兵少尉に任官し、1904年、歩兵中尉に進級。
- 歴史学研究者として
1899年9月、第一高等学校教授に就いた。1902年10月、文学博士号を取得[3]。
1907年2月から1909年3月まで、イギリス、アメリカ、ドイツに留学[4]。帰国後、新設された京都帝国大学文科大学西洋史講座教授に就任した。文科大学では、和辻哲郎や西田幾多郎らと同僚であった。1922年4月から1924年1月には、文学部長を務めた。
研究内容・業績
専門は西洋史だが、日本史にも通じており、日本通史を英語で執筆・出版したことでも知られている。また西洋史の研究を通じて日本にも中国のそれとは異なる封建制など西洋史の中世と同じようなものがあったことを指摘し、それは他のアジア諸国と日本との違いであると主張した。その他に日本史関係では、『吾妻鏡』の史料としての価値と限界についてなど、鎌倉時代について文化史的視点から考察論考を書いている。また、1911年に発表した論文「東西の宗教改革」では、鎌倉時代に興った浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・時宗・禅宗などの「新仏教」運動を、16世紀ヨーロッパの宗教改革になぞらえる解釈を示した。法然や親鸞をルターやカルヴァンと並置するこの比較史的アプローチは、日本における「中世」概念の確立に寄与し、その後の鎌倉仏教研究に長く影響を与えた[6]。