原田明広
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笠間高から、1984年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団。中央球界では無名だが、右の本格派でレベルが高い茨城高校野球界でも2年生のころから注目されていた。
1990年、途中で一軍昇格を果たすなど、二軍で7勝1敗、防御率2.54の成績を残し、イースタン・リーグで防御率4位、最高勝率となる。もっとも、この年の一軍は、チームで70完投で一軍登板を果たした投手が10人だけという戦力だったため、原田に一軍登板の機会はなかった。そのため、この年の偵察メンバーとしての野手出場(1990年7月22日大洋戦・6番右翼)が、原田にとっての生涯唯一の一軍公式戦出場となった。
1991年、二軍で7勝6敗・防御率2.48で防御率2位の成績だったが、戦力外通告を受け現役を引退[1]。
現在は、地元茨城にて会社員。また少年野球友部リトルシニアの監督でもある。元読売ジャイアンツ髙橋優貴投手(現ミキハウス)を指導していた。
2020年6月27日には巨人とOBスカウトとしての契約を締結し、茨城エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担っている[2]。