厨川圭子
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厨川圭子は、医師・広瀬季雄の娘として中華民国奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)[2]で生まれた[注釈 1]。1942年に東京府立第三高等女学校を卒業、1944年には津田英学塾を卒業した。終戦後の1946年、慶應義塾大学文学部英文科に女子学生の第一期生として入学し、西脇順三郎、厨川文夫に師事して1949年卒業した。
1949年、1月に前妻と離婚した厨川文夫と同年7月結婚[4]。1950年、単身でアメリカへ1年間留学[注釈 2][5]。1952年には長男の明を出産した[4]。1956年、一家は明の転地療養のため東京都中野区から埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)に転居した[6]。文夫とは、サー・トマス・マロリー『アーサーの死(抄訳)』(筑摩書房『世界文学大系』、第66巻『中世文学集II』所収、269頁 - 416頁、1966年9月)を共訳している[7]。
1974年、文夫が慶應義塾大学を定年退任(成城大学教授に就任)すると、その夏に夫婦でヨーロッパ旅行に出かけ[8]、スイスにかぎってはその翌年・翌々年の8月にも夫婦で二度三度と訪れた[9]。1978年、夫・厨川文夫が逝去した[9]。