厨川文夫
日本の教員
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来歴
英文学者・厨川白村(辰夫)の長男で、父が第五高等学校教師で赴任していた熊本県で生まれた。母・蝶子は、ジャーナリスト・福地源一郎の次女[1](源一郎によると姪の娘[2])である。1923年(大正12年)9月の関東大震災で父を亡くした。その後は京都府立第三中学校から東京に移住し芝中学校を経て、慶應義塾大学に進学し、詩人・西脇順三郎の薫陶を受け、1931年(昭和6年)に卒業、同大学の助手となった。在学中には、叙事詩『ベーオウルフ』を翻訳し、1932年(昭和7年)に大学紀要に掲載されて岡倉賞を受賞した。1942年(昭和17年)に慶應義塾大学文学部の助教授、1945年(昭和20年)には教授に昇進し、古代・中世英語を専門とした。
1949年(昭和24年)、最初の妻と一女を儲けるも離婚。同年、医師・広瀬季雄の娘・圭子と再婚した。1950年(昭和25年)には、研究論文『古英詩研究』により文学博士の学位を取得。1967年(昭和42年)には、神秘主義者ウォルター・ヒルトンの著作の翻訳によって福沢賞を受賞した。1968年(昭和43年)には慶應義塾大学言語文化研究所長に就任、1973年(昭和48年)に定年退職し、同大学の名誉教授となるとともに、成城大学の教授となった。同校定年退職の2か月前に没した。
妻の厨川圭子もまた英文学者であり、中世ロマンス『アーサー王の死』を夫と共訳している。門下には、文芸評論家の江藤淳、英文学者の安東伸介、書誌学者の高宮利行などがいる。
著書
参考文献
- 『回想の厨川文夫』[3]慶應義塾三田文学ライブラリー、1979