友末洋治
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1900年、広島県世羅郡世羅町出身。広島県師範学校を卒業後、内務省に勤める。勤務の傍ら日本大学に通い高等文官試験に合格し、内務省土木局に就職。その後、警察局長や東京都防衛局長を経て、1945年官選の茨城県知事となる。戦後、1947年公選の県知事選挙に出馬し当選、引き続き知事となり3期12年を務めた。在任中は町村合併や東海村への原子力発電所誘致などを進めた。また、北条町立北条中学校(現:つくば市立筑波東中学校)の開校式に出席した折に、「北条町にも高校を作ったらよいではないか。」と町当局に語り、茨城県立筑波高等学校の開校のきっかけを作った[1]。4選を目指すも岩上二郎に敗れ退任した後は、大洗町ゴルフ場の水戸カンツリークラブ社長に就任した。
1988年10月23日、脳血栓のため88歳で逝去。なお、前日に妻・マサコが同じ病院で脳軟化症のため亡くなっている。翌月に従三位が追贈された。
人物
脚注
- ↑ 筑波町史編纂専門委員会『筑波町史 下巻』発行者:倉田 弘、平成2年3月25日、590頁
- ↑ 植芝吉祥丸著・植芝守央監修 『合気道開祖 植芝盛平伝』 出版芸術社、1999年、ISBN 4882931680、233頁。
- ↑ 加来耕三 『戦後合気道群雄伝』 出版芸術社、2008年、ISBN 9784882933465、78頁。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 新設 |
公選初代-第3代:1947年 - 1959年 |
次代 岩上二郎 |
| 官職 | ||
| 先代 橋本政実 |
公選第45代:1945年 - 1947年 |
次代 国塩耕一郎 |
| 全般 | |
|---|---|
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