友近晋
From Wikipedia, the free encyclopedia
愛媛県松山市生まれ。1926年東京帝国大学理学部物理学科卒業(指導教授は、理論物理学者の第一人者の一人で東京帝国大学航空研究所所長を務めた寺沢寛一)。同大学助手を経て、1929年同大学理学部助教授。1932年理学博士(東京帝国大学)。同大学航空研究所所員も務める。1933年大阪帝国大学理学部助教授。1934年イギリス留学。1936年同大学理学部教授。1942年より東京帝国大学航空研究所員兼務(同僚として、流体工学・航空工学の第一人者の一人である谷一郎がいる)。1943年京都帝国大学理学部物理学科教授(航空物理学講座:京大流体研の誕生)[3]となり、同大学防災研究所員も務める。1958年京都大学理学部部長・評議員。京都大学退官後、1964年12月9日に肝臓癌のため京都大学医学部附属病院で死去[4]。
東京帝国大学・京都帝国大学(京都大学含む)・大阪帝国大学理学部で30年以上の長きに渡り教鞭を執り、流体力学・航空物理学の研究育成に貢献した。特に京都帝国大学理学部では航空物理学講座を立ち上げ、初期の京大流体研の礎を築いた。東京帝国大学航空研究所にも属し、航空物理学と航空工学(機械工学)の融合教育・研究も推進した。