双十節事件
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双十節事件
英名 Double Tenth incident( en:Double Tenth incident)。1943年10月10日以降[5]、昭南憲兵隊は、「シンガポールに抑留されている英国人が事件の首謀者だ」と内部通報があったとして[6]、サイム路(sime road)[7]にあった連合国人収容所への立入捜査を強行した[8]。
短波ラジオを隠し持っていた者が逮捕、拷問されたが[3]、犯行を自供する者はいなかった[9]。憲兵隊は連合国人の収容所を何度も捜索し[10]。1943年10月10日から翌1944年4月2日までの間に57名の連合国人を逮捕して拷問を加えながら取り調べ、うち15名を拷問により死亡させた[11]。今日では、昭南港爆破事件は全てオーストラリア等にいた英豪軍関係者らによって計画されたもので、収容所にいた者らは全く無関係で、自白のしようもなかったとされている。
同収容所には旧英政府時代の高官や牧師など著名人が多数収容されており、シンガポール統治の三役とされた総督、大僧正、極東情報局長のうち、大僧正と極東情報局長のスコットも虐待の被害者となった[12]。スコット極東情報局長は辛うじて拷問死を免れた[13]。
この事件で日本軍が逮捕した英国人は最終的に100人にのぼり、30人が裁判にかけられ、1人が死刑、15人が3-15年の有期刑に処されたほか、容疑者のうち1名が自殺、3名が病死した[6]。また英国人とは別に犯人に隠れ家や食料を提供したとして100人近いマレー人が逮捕された[14][15]。
戦犯裁判
戦後、イギリス軍シンガポール裁判で、憲兵隊による拷問致死が戦争犯罪とされて、昭南憲兵隊の憲兵分隊隊長・住田中佐以下21名が起訴され、住田隊長以下8名が絞首刑になった[16]。