反転試験

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英語名 Reversal Test
発表年 2006年
掲載誌 Ethics 第116巻第4号
反転試験
基本情報
英語名 Reversal Test
提唱者 ニック・ボストロムトビー・オード
発表年 2006年
掲載誌 Ethics 第116巻第4号
分野 応用倫理学生命倫理学認知心理学
関連概念 現状維持バイアス人間拡張ヒューリスティクス

反転試験(はんてんしけん、英語: Reversal Test)は、応用倫理学におけるヒューリスティクス(発見的手法)の一つである。何らかのパラメータを現状から変化させる政策や介入に対して、その反対方向への変化を想定することで、反論が現状維持バイアスに由来するものかを識別する手法である。

2006年、ニック・ボストロムトビー・オードが応用倫理学誌『Ethics』に発表した論文「The Reversal Test: Eliminating Status Quo Bias in Applied Ethics」において提唱された[1]

人間の意思決定にて、人は現状(ステータス・クオ)を不合理に優遇する傾向があることは、心理学行動経済学の多くの研究で示される。この傾向は「現状維持バイアス」と呼ばれ、たとえ変化が客観的には有益でも、それを否定する動機として機能する。

反転試験はこの問題に対処するための思考実験的ツールである。ある変化(たとえばパラメータXを増加させること)に反対する人が、仮にXが自然に減少するとしたらその減少を阻止すべきか、と問われる。もし「阻止すべきでない」と答えるならば、その人の反対意見は現状維持バイアスに由来している可能性が高いとされる。つまり、増やすことも減らすことも悪いと主張するならば、現状の値が最適であることを独立した根拠によって示さなければならない、という立証責任が課せられる[1]

背景・提唱の経緯

ボストロムとオードは、人間の認知能力を安全かつ低コストで増強できる技術(遺伝子工学を念頭に置いている)が登場した場合、多くの論者がその帰結を「悪い」と判断する傾向にあることに着目した。知能が向上すれば、退屈や競争の激化、格差拡大、新兵器の開発を招くといった懸念が挙げられる。しかし、同じ論者が知能の低下を防ぐ介入を求めるかどうかを問うと、判断が非対称になることが多い。この非対称性こそが、現状維持バイアスの表れであるとボストロムとオードは論じた。

論文は、心理学・行動経済学における現状維持バイアスの実証的証拠を踏まえた上で、応用倫理学的な議論においてもこのバイアスが広範に作用していると主張する。バイアスを除去するためのヒューリスティクスとして、反転試験およびその発展形である「二重反転試験」が提案された[1]

主な内容・特徴

現状維持バイアスの実証的背景

論文は、現状維持バイアスの存在を支持する複数の心理学的研究を引用している。代表的なものとして、

マグカップ実験
被験者は無作為に与えられた報酬を9割の確率で保持し続けた。
仮想的投資選択課題
現状として指定された選択肢が不当に支持された。
カリフォルニア州の電力消費者調査
消費者の約60%が、客観的条件に関わらず現状のサービス条件を選好した。

などが挙げられている。

これらの研究は、ダニエル・カーネマンらの行動経済学プロスペクト理論の枠組みとも整合するとされる[1]

反転試験の手順

反転試験の論理的構造と手順は以下のとおりである。

前提
あるパラメータPを増加させることへの反対意見がある。
反転の問い
仮に自然な力によってPが減少する場合、それを阻止してPを現状に保つことは望ましいか。
判定
もし「阻止すべきでない」ならば、Pの現状値に格別の優位性はないことになる。それにもかかわらず増加に反対するならば、その反対意見は現状維持バイアスによって汚染されている蓋然性が高い。
もし「阻止すべきだ」ならば、現状の値を維持することに独立した正当化根拠があることになり、バイアスの疑いは薄れる。

この論理の核心は「現状が最適点である可能性は極めて低い」という主張にある。任意の連続パラメータについて、その値が偶然にも最良の点に位置しているとは考えにくいため、増加にも減少にも反対する立場は、何らかの特別な根拠を提示する必要があるとされる[1]

二重反転試験

ボストロムとオードはさらに「二重反転試験(Double Reversal Test)」を提案している。これは、移行コストやリスクといった反論に対処するための発展形である。

二重反転試験の手順
  1. パラメータPを増加させることも減少させることも悪い結果をもたらすと考えられているとする。
  2. 自然な力によってPが一方向に変化する状況を想定し、現状を維持するための介入が望ましいかを問う。
  3. 介入が望ましいとすれば、その後に自然な力が逆転した場合、介入を逆転させることも望ましいか、を問う。
介入を逆転させることが望ましくないとすれば、最初からPを変化させることが望ましかったことになる。これにより、変化に伴う移行コストや一時的リスクへの過大評価を抑制する効果が期待される[1]

応用例

認知能力の増強

ボストロムとオードが論文で主として扱った応用例は、遺伝子工学による認知能力の増強である。知能の増強に反対する論者が、知能を低下させる有害物質への曝露を防ぐことには賛成するならば、両者の判断は非対称であり、反転試験によってバイアスが示唆される。

批判と評価

批判

哲学者アルフレッド・ノルドマンは、反転試験が増強に有利なストローマン議論を構築しているにすぎないと批判する。また、スティーブ・クラークは2016年の論文で、ボストロムとオードによる反転試験の定式化には修正が必要であり、立証責任の範囲についての記述も明確化を要すると論じている。クラークはさらに、反転試験が有効に適用できる状況の範囲はボストロムとオードが想定するよりも狭いと主張した[2]

コロンビア大学付属誌『Voices in Bioethics』に掲載された論考では、現状維持バイアスには進化的適応に由来する一定の知恵が含まれている可能性があり、バイアスを排除するだけでは不十分だという観点から、ボストロムとオードの試みに疑問を呈している[3]

学術的影響

反転試験は提唱以来、生命倫理学人間拡張論ナノ倫理学などの領域で広く引用されてきた。多くの哲学者が、現状維持を好む立場への批判の根拠として反転試験に依拠している。また、ダニエル・カーネマン行動経済学的知見(プロスペクト理論損失回避)との整合性が指摘され、学際的な応用も試みられている[1]

関連項目

脚注

外部リンク

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