古代道路
From Wikipedia, the free encyclopedia
中国では、有史以前から統治権力によって道路が建設されていたと見られるが、春秋戦国時代以前の状況はよく判っていない。
紀元前221年に中国統一を果たした秦の始皇帝は、中国全域に中央集権的な支配を及ぼしていったが、その一環として全国的な道路網を整備した。中国統一以前は、各国間で車の車輪幅が異なっていたが、始皇帝は車輪幅を統一したため、道路のわだちが一定となり車両の交通が便利となった。始皇帝が整備した道路網は総延長12000キロメートルに及んだが、そのうち約半分が幅員70メートルの大道で、馳道(ちどう)と呼ばれた。また、匈奴対策のため、北方へ約750キロメートルの軍用道路を作り、直道(ちょくどう)と呼ばれた。
秦がほろんだ後、漢も秦の道路網を継承した。その後、589年に中国を統一した隋は、中央集権的な国家建設を企図し、大規模な道路網整備を行った。隋の煬帝は、幅員140メートルの御道という道路を建設し、民衆の反感を買うこととなった。
その後の唐も、駅伝制を整備するなど、交通制度の充実を図ったことが知られているが、道路整備の状況はよく判っていない。
日本
→詳細は「日本の古代道路」を参照