飛騨の乱で父・尹綱が敗死したことにより、尹家が斯波義教の援助を受けていたという。尹家は系図上は姉小路家綱(師言の父)の子となっている。家綱と尹家は実の父子関係とするには時間が開きすぎている上に、家綱の娘が尹綱に対して哀悼の歌を詠んでいることから、尹綱と家綱の娘は婚姻関係にあり、その間に生まれた尹家が家綱の養子となり、「小島尹家」として活動していたとする説がある[1]。
応永24年(1417年)従五位上に叙される。左近衛少将を経て、宝徳3年(1451年)に従三位に昇叙され公卿に列した。康正元年(1455年)正三位・参議に叙任されるが、参議任官当日に出家している。