古市但馬公は大乗院の衆徒として仕え、1325年(正中2年)に発生した九条師教の子・覚尊と一条内実の子・聖信による大乗院門跡の継承争いに際して、覚尊を庇護した。覚尊が門跡争いに敗れた際、古市但馬公は自らの居館を避難先として提供し、覚尊の保護にあたった[2]。
この門跡争いは3年に渡り、1327年(嘉暦2年)に発生した両者による嘉暦の合戦により興福寺の金堂を含む諸堂を消失し、その責任を問われた聖信が隠岐に配流されたことにより、覚尊の勝利で幕を閉じた。以降門跡継承は九条・一条両家隔度と定められた[3]。
嘉暦の合戦は、覚尊と聖信が不在時に発生しており、兵力の中心は古市氏を代表とする門徒や坊人が中心となり勃発したとされる[4]。