古志郡小丹生神社
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小丹生神社(をにふじんじゃ、おにうじんじゃ)は古志郡に存在したとされる神社である。
藤崎文書
延喜式神名帳に記された古志郡六座の一つであるが、比定地については諸説がある。
| 神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
| 古志郡 6座(並小) | |||||||
| 三宅神社 二座 | ミヤケノ | 小 | (論)三宅神社 | 新潟県長岡市妙見町 | |||
| (論)三宅神社 | 新潟県長岡市中潟町 | ||||||
| (論)三宅神社 | 新潟県長岡市六日市町 | ||||||
| 桐原石部神社 | キリハラノ | 小 | (論)桐原石部神社 | 新潟県長岡市上桐シデノ木 | |||
| (論)桐原石部神社 | 新潟県長岡市寺泊下桐 | ||||||
| 都野神社 | ツノ | 小 | 都野神社 | 新潟県長岡市与板町与板 | |||
| 小丹生神社 | ヲニフ | 小 | (論)出田神社 | 新潟県長岡市島崎 | 遺構のみ | ||
| (論)熱田小丹生神社 | 新潟県見附市名木野町 | ||||||
| (論)宇奈具志神社 | 新潟県長岡市島崎 | ||||||
| 宇奈具志神社 | ウナクシノ | 小 | (論)宇奈具志神社 | 新潟県出雲崎町乙茂 | |||
| (論)金峰神社 | 長岡市西蔵王 | ||||||
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多くの資料は、現・三島郡島崎にあったと記している[注釈 1]。
- 徳川光圀の『大日本史』には「今在三島郡西越莊島崎驛稱出田明神地産赤土…」とあり[1][注釈 2]、これを受けて歴史地理学者の松田寿男は、各地の丹生神社と辰砂(水銀)産地との関連に着目し、(当地ではなく)旧和島村島崎にあったと結論づけた[3][注釈 3]。
- 『越後野志』は小丹生神社が島崎にあり出田(いずるた)明神に改名したとしている[4]。
- 『特選神名牒』は熱田村熱田神社にも伝説があるが確証なし、としている[5]。
- 『長岡市及近郊神社調稿』は、島崎の宇奈具志神社がかつての小丹生神社であろうとする小池内廣の説[注釈 4]に肯定的な立場を示している[7]。
- 『越後古代史之研究』は熱田集落に隣接する名木野の由来を紹介しているが[8]、島崎・出田明神説を肯定する一方、熱田社について言及がみられない。
代々熱田小丹生神社の神主を務めたとされる藤崎家に残る伝承によれば、中央から派遣された波多武日子命・天美明命らの従者である王仁が一帯の支配者となり[注釈 5]、三官原(所在地不明)を本拠地として城を築き、姓を小丹生三官(みきみ)と改めた。
その子孫は拠点を移りながら姓を変え、藤崎家となったと伝えられるが、この伝承に小丹生命の名は見いだせないという[9]。なお、藤崎家は蒲原郡に拠点を移したことがあり、同地の三条槻田神社神職も代々藤崎姓を名乗ったという[10]。
『新潟県神社寺院仏堂明細帳』では以上に加えて、三官原から長岡市金倉山に移された後、熱田へ遷座したとする。
『温古の栞』
明治時代中期に刊行された地誌『温古の栞』は、名木野の地名のいわれや、尾張熱田神宮、三条槻田神社との関係を述べつつ[注釈 6]、(延喜式内社)小丹生神社は熱田から島崎に移ったとする説や、さらに以前は近隣の新保村(現・長岡市)から移ったとする説を紹介している[11]。新保村での別当であったとされる長福寺は1683年(天保3年)長岡市西新町に移転し、現存[12][13][注釈 7]。(2025年)
| 「◎ 熱田神社
古志郡熱田村熱田神社は上古の勧請にして境内最と神さび千古の風光を變せざるの勝地なり◆往古は此邊を総稱して奈岐乃里(今は名木野と書り)と云ふ◆此神の鎭り坐しより奈岐乃を分ちて熱田と名づく◆神寶八坂の劔一口は尾張國愛知郡熱田神社より送られし物なりとて神官藤崎家に齋き置けるに◆屢々不測の怪異あり且つ靈告に依り近世三條の槻田神社へ移納せり◆一説に當社地は延喜式内小丹生神社(三島郡島崎村鎭坐)の旧跡なりと云ふ◆又當村より二里餘南へ距り同郡新保村は元小丹生の里と唱へ鎭守諏訪神社の境内を小丹生神社最初臨幸の地と言傳ふ (p.243) ◎ 長福寺 同郡新町曹洞宗得聚山長福寺は元眞言宗にて同郡新保村小丹生神社の別當なりしが◆ 天和年中更に新町驛を設置するに際し同村農家五十五軒と共に今の地へ移轉せしものなり◆ 境内十王堂は小丹生神社の遺跡を天文年中同郡堀金の城主山吉家に於て祖先の靈と合祀再興ありしと言傳ふ (p.328)」 |
| —温古談話会 編 『温古の栞 上 (越後地誌風俗全書)』 p,243、p.328 |
脚注
注釈
- ↑ 延喜式神名帳にみられる三島郡は現在の刈羽郡に相当した。時代が下り、大日本史編さんの頃には近世以降の区分として整理されている。
- ↑ 吉田東伍著『大日本地名辞書』では[2]「今島崎村に在り、出田明神といふ、此地赭土最美、いはゆる丹土なり。…」
- ↑ 『大日本史』の記述を土壌分析によって補強したものであるが、松田、吉田らは熱田の社に対し、そもそも言及していない。
- ↑ 小池内広(1832-1873年)は、弥彦神社宮司。なお式内社宇奈具志神社については、(確証はないが)のちの蔵王権現(金峯神社)が有力候補と考えていた[6]。
- ↑ ただし、王仁の活動時期が定説と大きく食い違うことが複数の参考文献にて指摘されている。
- ↑ 小池はこの説に懐疑的であった[9]。
- ↑ 同書には出典が明記されていない。
出典
参考文献
- 徳川光圀『訳註大日本史 六』建国記念事業協会・彰考舎、1942年(原著1697年)、445頁。doi:10.11501/1920578。https://dl.ndl.go.jp/pid/1920578/1/231。 (国立国会図書館デジタルコレクション)
- 吉田東伍『大日本地名辞書 中巻 二版』冨山房、1907年10月17日。doi:10.11501/2937058。 (国立国会図書館デジタルコレクション)
- 松田寿男『丹生の研究 : 歴史地理学から見た日本の水銀』早稲田大学出版部、1970年、315頁。doi:10.11501/12238062。https://dl.ndl.go.jp/pid/12238062/1/167。 (国立国会図書館デジタルコレクション)
- 小田島允武『越後野志 上巻』歴史図書社、1971年(原著1815年)、30-31頁。doi:10.11501/9536317。https://dl.ndl.go.jp/pid/9536317/1/147。 (国立国会図書館デジタルコレクション)
- 教部省『特選神名牒』思文閣、1972年5月1日(原著1925年)、554頁。doi:10.11501/12266036。https://dl.ndl.go.jp/pid/12266036/1/312。 (国立国会図書館デジタルコレクション)
- 長岡市教育会教育研究部社会・実業・特殊教育研究部 編『長岡市及近郊神社調稿』長岡市教育会教育研究部、1938年3月25日、70-73頁。doi:10.11501/1024723。https://dl.ndl.go.jp/pid/1024723/1/46。 (国会図書館デジタルコレクション)
- 池田雨工『越後古代史之研究』万松堂新潟支店、1925年、2頁。doi:10.11501/983262。https://dl.ndl.go.jp/pid/983262/1。 (国立国会図書館デジタルコレクション)* 温古談話会 編『温古の栞 上 (越後地誌風俗全書)』歴史図書社、1977年(原著1891年)。doi:10.11501/9537470。https://dl.ndl.go.jp/pid/9537470。 (国立国会図書館デジタルコレクション)
外部リンク
- 新潟県神社寺院仏堂明細帳検索 - 新潟県立図書館(新潟県立文書館)
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