現在の福岡県直方市出身[2]。福岡県立鞍手中学校(現在の福岡県立鞍手高等学校)卒業。八幡製鉄に所属し、1936年ベルリンオリンピックの男子110メートルハードルに出場した。ただし関西大学によれば、関西大学陸上部からオリンピックに出場する「六選手」(大島鎌吉・長尾三郎・谷口睦生・福田時雄・戸上研之・古田康治)の一人として古田を送り出したとある[4][注釈 1]。
第二次世界大戦後初となる1946年の日本陸上競技選手権大会では、三段跳で優勝。
のちに日本陸上競技連盟の理事会メンバーを務めた[2]。
2008年6月8日午前6時25分、肺癌のため北九州市の病院で死去[2]。93歳没。