古賀秀正
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佐賀県出身。古賀用六少将(陸士17期)の子。東京陸軍幼年学校(37期、第2訓育班第3学班[1])を経て1939年(昭和14年)9月に陸軍士官学校(52期)を64番/508名で卒業、同年11月に砲兵少尉に任官し、野戦砲兵第4連隊留守隊附となる。その後は陸軍砲工学校普通科、防空学校教導連隊を経て、1944年(昭和19年)7月に陸軍大学校(58期)を卒業した。卒業と同時に近衛第一師団参謀に補され、同年12月には陸軍少佐に進級した。
また、陸大在学中の1943年(昭和18年)に、東條英機首相(当時)の次女・満喜枝と結婚し、1男をもうけた。
終戦時に宮城事件に状況上やむを得ず関与することとなったが、クーデターは未遂となり、1945年8月15日正午過ぎの玉音放送の終了直前に、近衛第一師団司令部2階に安置された森赳師団長の遺骸の前で、拳銃と軍刀を用い自決した。26歳没。