可愛山陵

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可愛山陵(えのみささぎ)は、日本書紀に現れるニニギ(天津日高彦火瓊瓊杵尊)の高屋山上陵(たかやのやまの えのみささぎ)・吾平山上陵(あひらのやまの えのみささぎ)とともに神代三山陵の一つ[1]

ニニギの陵については、「日本書紀」に「筑紫日向可愛山之山陵」とある。

久之、天津彥彥火瓊瓊杵尊崩、因葬筑紫日向可愛此云埃之山陵。

延喜式諸陵式」に「日向埃山陵。天津彦瓊瓊杵尊在日向国、無陵戸」(は返り点)とあるが、この陵は延喜式よりも前に中央の官掌を離れて、その所在を単に「在日向国」、また「無陵戸」と表されていた。しかしその祭祀は重んじられ、神代三陵のために山城国葛野郡田邑陵の南の原に方1の地を画して遙拝所に当てられたことがある。

治定の経緯

脚注

参考文献

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