合浦公園
青森県青森市にある都市公園
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要
沿革
- 1880年:旧弘前藩の庭師、水原衛作(旧姓・柿崎)が公園の造成を計画する[2]。
- 1881年:青森県令・山田秀典らの援助により公園造成に着手[2]。
- 1882年:青森県令・山田秀典が急死し、造園資金の募金が滞ったため、水原家が園地に移住して荒地を切り開く[2]。
- 1885年:衛作、公園建設の過労がもとで死去[2]。弟の柿崎巳十郎が引き継ぐ[2]。
- 1894年:公園が完成し、青森町(現在の青森市)に寄付される[2]。
- 1924年1月:付近に浪打駅開業。
- 1945年:青森大空襲により近くにあった青森中学校(現在の青森県立青森高等学校)が焼失。戦後敷地を編入する。敗戦後しばらくの間は駐留軍に一部が接収された。
- 1948年:旧青森中学校跡地を合浦公園の一部として都市計画が決定される[2]。
- 1950年:青森市営球場開場。青森競輪場開場。
- 1954年12月9日:米軍から公園返還[3]
- 1968年7月:東北本線ルート変更により浪打駅廃止。
- 1977年9月3日:国民体育大会出席のために来県した昭和天皇が競輪場に行幸[4]。
- 1982年:青森競輪場移設。跡地は広場になる。
- 1989年7月28日:日本の都市公園100選に選出される[2]。
- 1994年:公園の完成百周年を記念し、水原衛作、柿崎巳十郎兄弟の像が設立される。
青森春まつり
合浦公園海水浴場
砂浜は夏に一般に開放され、多くの海水浴客で賑わっている。昔は自然に公園周辺に美しい砂浜が続いていたが、戦後になると周辺の水質汚濁や利用客の増加などのためか、砂浜にはだんだんと泥がたまるようになっていった。砂浜の保全のため、過去二度にわたり海岸環境整備事業を実施しているが、砂浜が保全されているのは公園の部分の、それも海岸に近い部分のみに限定されている(周辺の海岸はコンクリートで固められている)。2005年の遊泳期間は7月22日から8月23日であった。
三譽の松

樹齢460年以上と言われる傘型の黒松で、市文化財として天然記念物に指定されている。現在の公園敷地の中央部に位置し、公園を東西に貫く歩道(旧奥州街道)の脇にある。歴代の弘前藩主が地方巡見の際にこの松の下で酒宴を催し、藩主自ら酒を献上したと言われている。1991年の台風19号(りんご台風)により、大枝を損傷し切除したため、かつてに比べると容姿は損なわれているとも言われるが、今なお公園を代表する老松であることに変わりはない。

