山田秀典

From Wikipedia, the free encyclopedia

山田 秀典(やまだ ひでのり、1836年天保7年〉[1] - 1882年明治15年〉1月6日[2])は、幕末熊本藩士、明治期の内務官僚青森県令。幼名・平太[2]、平兵衛[3]

熊本藩士の家に生まれた[3]

維新政府の十三等出仕となる[3]。明治4年8月1871年)、内務省土木寮・土木権頭に就任[4]1873年11月、新川県権令に転じ、同県令に昇進。

1876年8月、青森県令に就任[3]。産業振興に尽力し、国内各地から馬耕教師(熊本県)、養蚕教師(福島県)、教師(高知県)、教師(栃木県)、製紙教師(長野県)などを招いて実際の指導を行わせた[5]。また、自由民権派と保守派の一致協力を推進しようとするが、保守派の反発を招き郡長辞任などで抵抗を受けた[3][5]。1882年1月、県政報告のため滞在していた東京で死去した[5]

親族

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI