吉川久夫
日本のアナウンサー (1931-2001)
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来歴・人物
1952年4月にラジオ東京(1960年11月29日より、TBS)へ入社[1][2]。当初報道部へ配属されたが、1953年2月よりアナウンサーとなる(第2期生)[1][2]。以来、主にスポーツ実況[1]を担当した。1959年6月25日、日本プロ野球初の天覧試合(後楽園球場の読売ジャイアンツ対大阪タイガース戦)でラジオ実況を担当[3]。
1963年11月1日、報道局運動部兼ニュース部へ異動する[4]。11月9日、リキ・スポーツパレスでのボクシング中継の仕事を終え家路に着く途中の電車内で鶴見事故に遭遇し[2]、現場近くのクリーニング店に駆け込んだ[5]。のちにTBSに第一報を入れ[5]、中継リポートを行った[2]。
1964年開催の東京オリンピックでは、開会式をはじめ体操・重量挙げ・水泳などのテレビ実況を担当した[6]。
1967年7月にラジオ局第一制作部兼テレビ編成局アナウンス部の所属となり、スポーツ担当から離れる[2]。同年11月15日より、ラジオ局第一制作部兼テレビ編成局放送部兼アナウンサー研修室委員となる[7]。1969年3月に、ラジオ局放送部兼テレビ編成局放送部兼アナウンサー研修室の所属となった。
1970年7月、ラジオ本部ラジオ営業局営業部へ異動[2]しアナウンス職から離れた。以後、大阪支社(1976年3月)→テレビ本部テレビ営業局CM部(1979年12月)→テレビ営業局ネットワーク業務推進部(1982年8月)→JNNネットワーク協議会事業局(1983年6月)を経て[2]、1984年4月にテレビ高知へ出向[2]。1986年3月にTBSを定年退職[1][2]。2001年7月に死去した[2]。70歳没。